【あの時何が 益城町役場編⑬】被災しながらの業務 心身削った職員

熊本日日新聞 2018年1月17日 00:00
益城町公民館に設けた臨時の窓口で、慌ただしく業務に追われる職員たち=2016年5月17日
益城町公民館に設けた臨時の窓口で、慌ただしく業務に追われる職員たち=2016年5月17日

 「職員をつぶしたら大きな戦力減になる。職員も被災者。彼らの健康を守るのもトップの役割です」

 益城町長の西村博則(61)は、激励に訪れた東北の首長たちが掛けてくれた言葉をかみしめる。「東日本大震災ではうつになったり、自殺したりした職員が多かったと聞く。役場に寝泊まりして24時間ずっと苦情や相談を受けていた職員もおり、地震から1週間がたつと、多くの職員が涙目になった」

 上下水道や道路などライフライン復旧の担当課には、前震後から電話が途切れることはなかった。水道課工務係長の荒木栄一(56)は「現場の復旧作業で疲れて帰った後は電話の応対。心身が休まる暇がなく、ノイローゼになるかもしれないと思った」と振り返る。

 総務課防災係長の岩本武継(51)が、温かい食べ物を口に入れることができたのは、前震から1週間後。災害対策本部にようやく届いたポットから湯を注いで食べたカップラーメンの味は今も忘れられない。

 町は災害対応に当たる町職員の非常用備蓄をしていなかった。「地震直後は自衛隊に分けてもらう冷めたご飯しかなかった。職員は栄養が足りず、明らかに疲弊していた」

 岩本が初めて帰宅できたのは4月30日。それまで風呂にも入ることができず、アルコールを染み込ませたタオルで体を拭きながら業務に当たった。6月の健康診断では体重が7キロも落ちていた。

 現場を離れられない職員たちの裏で、家族も我慢を強いられていた。町男女共同参画センター所長の田上恵美(45)は、夫も役場職員。大学受験を控えた高校3年の長女に、高校1年の次女と小学4年の三女を任せ、夫婦とも地震対応に追われた。3人が近くの小学校で炊き出しに並び、食事を調達していたと聞いた時は心が痛んだ。

 地震から半年。田上は三女の両手の親指から血がにじんでいることに気付いた。指をかむくせが付いて皮膚が破れたのが原因だった。「不安と寂しさは相当なストレスだったに違いない。ショックだった」と田上は言う。

 災害対応の激務が1カ月以上続いたころ、西村は課長会議で職員に休みを取らせるよう指示。「現場を離れられない」「他の自治体から来てくれた応援職員に悪い」。そう言って休もうとしない職員たちを説得して回った。「応援職員はあなたたちを休ませるために来ている。これからが長い闘い。体を壊したら何にもならん。とにかく半日でも休め」

 それでも2人の職員が体調を崩し、長期療養を余儀なくされた。「私にできることは、職員を怒らないことだけだった」と語る西村。自身は49日間、災害対策本部に寝泊まりし、3カ月間は休みを取らなかった。(益城町取材班)=敬称略、肩書は当時

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