【あの時何が 益城町役場編⑤】混乱する避難所 職員任せだった運営

熊本日日新聞 2018年1月8日 00:00
避難してきた住民らで混雑する益城町保健福祉センター「はぴねす」=2016年4月17日
避難してきた住民らで混雑する益城町保健福祉センター「はぴねす」=2016年4月17日

 熊本地震の前震から間もない2016年4月14日午後11時すぎ。益城町政策推進課長の中桐智昭(58)と福祉課長の木下宗徳(56)は、町用車にありったけの毛布と水を詰め込んだ。「手分けして避難所に物資を持って行こう」

 最初に向かった広安小には約200人が避難していた。町職員の姿を探したが見当たらない。「おれがここに残るけん」。物資を下ろすと、中桐は木下にそう告げた。町の地域防災計画では中桐ら課長職は災害対策本部に詰めることになっている。しかし、目の前の住民を放ってはおけなかった。

 「なんで体育館の中に入れないんだ!」。屋外に敷いたシートの上で夜を過ごす住民から怒声が飛んだ。「すいません。夜中なので建物の安全確認ができないんです」。中桐は頭を下げて回るしかなかった。

 「救急車がなかなか来ないんです」。応援に駆けつけた町男女共同参画センター所長の田上恵美(45)に誰かが訴えた。体育館の入り口に頭から血を流している高齢の男性がいる。田上は自分の車に男性と妻を乗せて熊本市東区の市民病院まで運んだ。混乱状態の中で腰を据えて考える余裕などなかった。

 前震発生から3時間近くたった15日午前0時すぎ。いきいき長寿課主幹の姫野晶子(57)は、町保健福祉センター「はぴねす」のトイレにいた。停電と断水で汚物が流せず、使用できなくなっている。ごみ袋で覆った手を便器に突っ込み、たまった汚物を取り除き始めた。

 保健師でもある姫野は「抵抗はあったが、私たちが何とかしなければという思いだった」と語る。この後も、町職員や住民がバケツの水でトイレを流す作業は、屋外に仮設トイレが整うまで繰り返された。

 町交流情報センター「ミナテラス」を担当していた政策推進課係長の藤田智久(44)は、パイプ椅子に座ったまま眠ろうとした直後に再び震度7に襲われた。周りは避難してきた住民でいっぱいだった。2度目の激震が建物に危害を加えた恐れもある。強い揺れがまた来るかもしれない。直ちに屋外に退避するよう住民に呼び掛けた。

 ただ、時間がたつにつれ、徐々に気温も下がっていく。住民をこのままにしておいていいのか。建物の中と外はどっちが安全なのか。経験したことのない緊急事態に何が正しいのか分からなくなった。ぎりぎりの判断を迫られた藤田は約1時間後、避難者にこう伝えた。「私たち職員は室内に戻ります。戻りたい方は、ご自身の判断で戻ってください」

 町職員の多くが地震直後に駆け付けた先で、なし崩し的に避難所運営に当たった。本震発生で住民の避難生活の長期化が予想される中、現場任せだった避難所運営や人員配置の見直しが急務となる。(益城町取材班)=敬称略、肩書は当時

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