【あの時何が 熊本市民病院編⑬】「15年度までに耐震化」 目標達成できず
熊本地震で被災した熊本市民病院(同市東区)の南館が完成したのは1979年。95年成立の耐震改修促進法で、義務付けられた耐震診断の対象(81年以前の建物)となった。
耐震診断の実施は2002年。鉄筋コンクリート造りの強さを表す指標(CTU・SD)をみると、南館は0・11。0・3以上で「耐震性能あり」、0・15未満で「劣る」とされ、厳しい数字だった。
熊本市は08年3月、建築物耐震改修促進計画を策定した。市民病院や小中学校など、防災拠点の耐震化を「15年度までに100%」とする目標を掲げた。
市民病院では08年6月、補強工事のための調査が始まったが、その後、市は補強工事の実施を断念。「工事で地下に壁などを新たに造れば、診療スペースや避難経路の確保が難しかった。診療を継続しながら補強するのも無理だった」。市民病院の新病院開設課建設室長の畑田芳雄(54)は、当時の状況を説明する。
「診療を続けながら、現地での建て替えは可能」-。10年3月、病院の改築について検討した設計事務所は報告書を提出。1年後、同事務所は「移転新築の可能性を模索する時間はない」と強く建設推進を求めた。市議会は12年4月、病院の在り方を検討する特別委を設置。病院の役割などについて論議を重ねた。
「新病院基本計画」の素案がようやくまとまったのは13年2月。現在の敷地内に高層の病棟を新築する計画で、15年4月着工、21年春完成を目指していた。事業費は133億円とされた。
ところが15年1月、市長の大西一史(49)は建て替えを凍結する。資材費や人件費が大幅に高騰したため、事業費が209億円に膨れ上がることが理由だった。仮に凍結しなかった場合は、地震発生時は新築する建物の基礎工事中で、「出入り口がなくなり、新館が使えなくなった可能性がある」(畑田)という。
耐震診断の実施から、昨年4月の地震発生まで14年-。結果的に、08年に定めた「15年度までに耐震化」という熊本市の目標は、防災拠点施設の中で市民病院だけが達成できなかった。02年から14年まで市長を務めた幸山政史(51)は振り返る。
「決して放置してきた訳ではないが、今思えば、もう少し迅速に対応しなければならなかったと痛感している。充実に努めたNICU(新生児集中治療室)の機能が、地震で失われたことは忸怩[じくじ]たる思いだ」
市民病院は東区東町の国有地に新築移転し、19年6月の完成を目指している。免震構造でヘリポートも備え、「災害に強い病院」として生まれ変わる予定だ。(森本修代)=文中敬称略
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