【あの時何が JVOAD・火の国会議編⑧】専門職集団と住民の力が現場支える
全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」(神奈川県)が、災害支援に乗り出すきっかけは「3・11」だった。東北の惨状に「何かしなきゃと飛び出した」と代表の菅原由美(62)。それから5年。熊本地震の本震後、菅原は九州へ向かった。
「由美ちゃん、熊本に入った? 医療支援が必要な施設がある」。昨年4月16日、先行した別団体から電話があった。混乱する被災地でどう動くか-。菅原は益城町在住の元県健康福祉部長、森枝敏郎(67)に協力を求めた。
民間団体「くまもと福祉のラウンドテーブル」代表幹事を務め、今も精力的に活動する森枝とは、以前から親交があった。車で益城町内の複数の避難所へ。行き着いた特別養護老人ホームひろやす荘は避難者らでぎっしり。先の電話で「支援が必要」と聞いた施設だった。
建物は2013年秋に新築移転したばかり。災害を見据え、地域に貢献できるよう堅強で使い勝手の良い施設を整備した。とはいえ150人以上の利用者に加え、住民約200人も避難。地盤に不安が残る系列の介護老人保健施設からも約60人が移ってきていた。「このままなら職員は限界」。施設長の永田恭子(52)は危機感を募らせていた。
「私たちがバックアップします」。看護・介護に長けた専門職集団を率いる菅原が申し出た。キャンナスはひろやす荘に拠点を置き、各所で継続的な支援をしながら、「火の国会議」で広く現状を伝えた。菅原と旧知の介護や口腔[こうくう]ケアの各グループも合流。永田は「皆さんの行動、助言が支えだった」と振り返る。
こうした専門性は広安小の避難所でも生きた。運営を立て直したピースボート災害ボランティアセンター(東京都)だけでなく、医療支援の認定NPO法人AMDA(岡山市)や、子ども支援の国際NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(東京都)などが支えに。そこに、住民たちの力が加わった。
ひろやす荘では断水中、住民がトイレ用の水の運搬などを手伝った。「専門職だけでは手に負えない力仕事をできる人が災害時には必要だと気付かされた。住民の支援は貴重だった」と永田。広安小では、若者たちが食事の配布など地道な活動に労を惜しまなかった。若者のリーダー的な存在だった大学生、桑原孝太(21)は「行動した高校生や学生には、自ら『やってみよう』という積極性があったと思う」と振り返る。
当時高校生だった広安小OBの会社員、磯野嵩徳(19)は、地震直後から教員や保護者の動きをサポート。「七夕祭り」を提案、実施につなげて避難所を明るくした。近くの惣領3町内の区長、高木守(76)は彼らの活躍や住民相互の助け合いを評価する。「大切なのは共助の力。ボランティアにも支えられ、厳しい避難生活を乗り越えられた」(小多崇)=文中敬称略
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