身元判明恐れ、途絶える連絡…必死に守る「自分の居場所」 <ゆりかご15年>連載 第3部「匿名の先に 母子をどう支える」①
慈恵病院(熊本市西区)の「SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談」の電話が鳴った。
「おなかが痛い。どうしたらいいですか」
匿名を望む妊婦から、陣痛の始まりを訴える相談だ。病院の相談員は救急車を呼ぶよう促したが、身元を明かしたくない妊婦は頑として受け入れず、そのまま電話は切れた。
病院には、未受診のまま出産を迎える緊急相談が年間10件ほど寄せられる。相談員は救急車を向かわせるため、何とか妊婦から住所を聞き出し、目印となるコンビニや神社などに行くよう促す。自宅が分からないよう、家以外の場所で合流させるためだ。
ほとんどの妊婦は救急車を呼ぶことを受け入れるが、1、2件は最後まで身元が明らかになることを恐れ、そのまま連絡が途絶えてしまうこともあるという。
蓮田真琴・新生児相談室長は今でも時折、思い悩む。「ひょっとすると、事件になっていないか」(「ゆりかご15年」取材班)
■「絶対に会わない。話したくない」
慈恵病院(熊本市西区)内に、「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」への預け入れを知らせるアラームが鳴り響いた。看護師が駆け付けると、預けたばかりの母親が柱にもたれかかり、ぼうぜんと立ち尽くしていた。数年前の夜のことだ。
「お話を聞かせてくれませんか」。ゆりかごの隣にある相談室に案内し、蓮田真琴室長が声を掛けたが、女性は泣き続けるだけだった。ようやく名前と県名を指で隠して名刺を差し出し、県外の公務員であることを明かした。
女性は当時、独り暮らしをしていた部屋で、孤立出産していた。未婚で誰にも相談できず、中絶ができなかったこと。職場に知られると辞めなければならないと感じていること。最後まで名前は明かさなかったが、少しずつ自分が抱えている状況を打ち明けた。
しかし、児童相談所(児相)職員らが来ることを告げると、「絶対に会わない。話したくない」と取り乱し、うずくまって泣いた。産後の治療のため再び来院する約束を取りつけ、蓮田室長は新幹線で帰宅する女性をJR熊本駅まで送った。車の中で、女性は力なくつぶやいた。「私にはここしかなかったんです」
その後、警察から女性の身元が分かったことが知らされた。女性は妊娠6カ月目に地元の産婦人科を受診したことを、慈恵病院に明かしていた。その情報を病院が児相に伝えると、児相は全国の産婦人科に「妊娠6カ月で受診歴があり、出産歴がない妊婦はいなかったか」と照会し、女性を探し出していた。
後日、女性は病院にメールを寄せた。「なぜ私の身元が分かったんですか?」
病院としてはこう答えるのが精いっぱいだった。「私たちは探していません」。病院はその後、女性が職を失うことがないよう、児相に強く訴えたという。
蓮田室長は「女性たちは今の生活と自分の居場所を、必死に守っている。それが壊されないように妊娠の発覚をひた隠しにしている女性たちに、実名を基にした行政の介入は苦痛でしかない」と訴える。
「ゆりかご」の開設以来、病院は15年にわたって、匿名での預け入れを貫く。一方で、「安易な子捨てにつながる」「子どもの出自を知る権利を奪う」といった批判も続く。児相が親を探すのも、子どもの福祉や出自を知る権利を守り、母子を支援につなぐためだ。
しかし、開設15年を翌日に迎えた5月9日、慈恵病院の蓮田健院長は記者会見で匿名性を貫く覚悟を重ねて強調した。
「赤ちゃんの遺棄や殺人を防ぐには、子どもの出自を知る権利よりも、命を守ることを優先しなければならない。匿名で母親を受け入れ保護し、支え続ける。そうでないと、つながらない母子がいる」(「ゆりかご」15年取材班)
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