159人の一人の僕 大切なのは「その後」の人生 <ゆりかご15年>連載 第1部①
【いのちの場所 ゆりかご15年】 第1部 家族になる 航一さんのこれまで①
満開の菜の花が輝いていた。今春、熊本県立大に入学する宮津航一さん(18)=熊本市東区=は、少し照れたような笑顔で家族写真に収まった。「まぶしいくらいの日差しだね」。視線の先には、笑顔の父と母がいる。
航一さんは、2人の実子ではない。高校2年の時、里親の宮津美光さん(64)、みどりさん(63)夫婦と養子縁組をした。2人は法的に親子となる前から、身を寄せる家がない航一さんと暮らしてきた。我慢強く転んでも泣かなかった幼児は、中学校では生徒会長を、高校では陸上部主将を務めるほど積極的になった。夫婦はたくましく育ってゆくわが子を、そばでずっと、見守ってきた。
一つの家族の始まりは、15年前にさかのぼる。2007年5月、熊本市西区の慈恵病院に、親が育てられない子どもを匿名でも預かる国内で唯一の「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が開設された。20年度までに159人が預けられたが、そのうちの一人が、航一さんだった。
航一さんには、ゆりかごに預けられた時の記憶が残っているという。
「ゆりかごの扉があって、タクシーか何か分からないですけど、緑色の車が1台、その後ろに止まっている。そのワンシーンだけが、頭の中に写真みたいにあるんです」
航一さんは直前まで面倒をみていた親戚に連れられて熊本に来た。ゆりかごの中の赤ちゃん用ベッドに、きょとんとした表情で座っていたという。その後、児童相談所に一時保護され、数カ月後、里親の宮津美光さん(64)、みどりさん(63)夫婦に託された。
宮津家で過ごす最初の夜、航一さんは美光さんと一緒に風呂に入った。お風呂上がりに、小さな体をタオルで拭きながら、みどりさんが「よかったね、お父さんと一緒で」と声をかけると、航一さんはぱっと後ろを振り向き、誰かを探すように周囲を見回した。「本当のお父さんが来た、と思ったんでしょう。言葉には出さなかったけれど、すぐ分かった。すごく慌てました」とみどりさん。それまでどんな生活をしていたのかと尋ねると、電気が走ったように表情が固まったという。
ゆりかごには、身元を示すものは残されていなかった。名前も出身地も分からない捨て子(棄児)として、幸山政史・熊本市長(当時)が一人戸籍を作り、命名した。「航一」という名前には、ゆりかごという小さな窓から広い海原にこぎ出していくように、可能性が広がるようにとの願いが込められている。
名前に込められた願いに背中を押されるようにして、航一さんは育った。夫婦の実子5人は兄代わりで、航一さんの目標になった。宮津家は、家庭内に複数の里子を受け入れるファミリーホームを運営しており、家庭内はいつもにぎやかだった。
「両親にも兄たちにも大切に育てられて、いろいろな思い出がある」と航一さん。「ゆりかごの後も、人生は続いていく。そっちの方が、ずっと長いし、大切なんじゃないでしょうか」
以前から、社会に向けて自分の経験を伝えるべきだと感じていたという。18歳になったのを機に語ることを決めた。熊本で家族と過ごした日々、出自を探す旅、ボランティア活動を通して気付いたこと-。
ゆりかごに預けられた子どもは、特別養子縁組や養護施設などで育つ。出自が分からない子どももいる。「ゆりかごに預けられたことで、親と引き離されたという思いを持ち続けている子もいると思う」と航一さんは言う。「でも159人の命は守られた。ゆりかごに預けられたけれど、幸せに暮らしているよ、と僕は伝えたい」(「ゆりかご15年」取材班)
◇ ◇
「ゆりかご」は5月10日で開設から15年を迎える。赤ちゃんの命を守る〝最後の砦〟として159人の命が託された。母親の匿名性、子どもの「出自を知る権利」。ゆりかごはさまざまな課題を社会に問い続けている。連載では、命の現場をたどり、家族のかたち、支援の在り方を考える。
RECOMMEND
あなたにおすすめPICK UP
注目コンテンツTHEMES
こうのとりのゆりかご-
妊娠相談、熊本市の23年度は2585件 22年度の2・5倍 妊娠内密相談センターの設置が要因か
熊本日日新聞 -
背伸びして、好奇心育んで 「子ども大学」県内で開校 こだわり「いのち学」
熊本日日新聞 -
「ゆりかご」にあった幼き日 関東在住のマナトさん、熊本・慈恵病院を訪問 育ての親とルーツ探し
熊本日日新聞 -
子ども大学くまもと開校 「ゆりかご」の宮津さんら立ち上げ 紺野美沙子さんが特別講演
熊本日日新聞 -
ゆりかごや内密出産、出自情報の範囲を議論 熊本市の慈恵病院「出自知る権利」検討会
熊本日日新聞 -
「地域や学校など社会で子どもを育てて」 慈恵病院の元看護部長の田尻さん、熊本市・帯山小で講演
熊本日日新聞 -
「孤立」防ぐも、未受診8割 慈恵病院「内密出産」2年で21事例 安全性、出自開示 課題なお
熊本日日新聞 -
出自情報の収集と開示、専門家を配置して ゆりかごや内密出産の子ども 熊本・慈恵病院で第5回検討会
熊本日日新聞 -
「ゆりかご」公表の宮津さん、「子ども大学」への協力を熊本市長に要望 3月開校へ準備状況を説明
熊本日日新聞 -
【フランスの匿名出産 現場からの報告⑥】母子にさまざまな選択肢を 慈恵病院(熊本市)の蓮田院長に聞く
熊本日日新聞