【あの時何が 益城町役場編⑦】町消防団 活動支えた使命感
〈家族の安全が最優先。活動できる人だけ出てきてほしい〉
熊本地震の前震直後、益城町消防団長の本田寛(49)はスマートフォンを手に取り、無料通信アプリのLINE(ライン)にメッセージを打ち込んだ。送信先は副団長や5人の分団長ら町消防団の幹部14人。有事に備えて作っておいた、このLINEグループの連絡網が未曽有の災害で生きることになる。
本田が詰めていた災害対策本部では正確な被害の状況が分からず、町から消防団への具体的な要請はなかった。一方、本田の連絡網には刻々と情報が届いていた。「〇〇で交差点に段差ができて通れない」「○○で擁壁が崩れ、町道をふさいでいる」。本田は直ちに当該地区の分団に交通整理に当たるよう指示を出し、災害対策本部にも現場の写真を添えて情報を伝えた。
地震発生時、町消防団には618人が所属。団員の多くは自ら被災しながら、警察や消防、自衛隊に交じって奔走した。
「今しか助けられん」。町南西部の櫛島[くしじま]地区。前震でつぶれた民家の前で地元消防団員の鋤野和明(45)は意を決して、玄関のわずかな隙間から中に入った。1人暮らしの高齢の女性が閉じ込められていた。余震が来ないことを祈りながら、はうようにして進み、天井が迫る居間で倒れていた女性を無事に救出した。
こうした町消防団による倒壊家屋の救助活動は、前震で11件19人、本震は16件32人を数える。前震の夜には町内で民家火災も1件発生したが、消火活動に当たり周囲への拡大を防いだ。
「火事場泥棒」も多発したため、本震2日後から夜の巡回を始めた。広崎消防団班長の村上武(43)は、ポンプ車の中から何度も不審な車を目撃。赤色灯に反応し、県外ナンバーの車5台がクモの子を散らすように逃げていったこともある。「被災した益城を守るのは自分たちだ」と村上は団員を励まし続けた。
町の防災行政無線が使えない中、団員はポンプ車で集落を回り、住民に給水や食料配布の情報を伝えた。避難して無人となった民家のプロパンガスの元栓を閉め、電気のブレーカーを落とすなど二次災害防止にも努めた。
ただ、消防団は警察や消防と違い、非常時の食料は自分で確保しなければならない。炊き出しに並ぶことはためらわれ、おにぎり1個と食パン1枚でしのぐ日が続いた。本田はコンビニエンスストアを経営する知人に、賞味期限が切れたおにぎりを融通してもらうこともあった。
連日約200人の団員が出動。使命感が彼らを支えた。本田自身、2年前に心筋梗塞を患い、薬が手放せない体だった。自宅が全壊しながら、地震直後から数日間は不眠不休で指揮した。本田は振り返る。「団長として住民の命を守ることだけを考えていた」(益城町取材班)=敬称略、肩書は当時
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