【あの時何が 被災地障害者センター編④】画一的対応、避難所に絶望
熊本市の障害者グループホームに勤務する女性(29)は2016年4月、熊本地震で東区の自宅が半壊する被害を受けた。4人家族は近くの小学校へ避難した。
8歳下の妹には、脳などに腫瘍ができる病気のため、自閉症や知的障害があった。環境変化の影響を受けやすいため、どうしても体を揺らしたり、叫んだりしてしまう。女性らは「居づらくなった」が、まとめ役の住民は「大丈夫ですよ」。体育館のステージにスペースを確保する気遣いを見せてくれた。しかし…。
「並んだ人の分しか食べ物は渡せない」。行列に入れない妹の食事も受け取ろうとした母親に、厳しい言葉がぶつけられた。当初は渡してくれる人もいたが、その担当者は問答無用。病気や障害のことを説明しても聞き入れてくれない。合理的配慮など程遠い画一的な“平等”。「限界でした」。避難所の対応に絶望した家族は、県外に暮らす兄を頼って熊本を離れた。
多くの障害者が過酷な状況に置かれていた。就労支援センターなどを運営するNPO法人自立応援団(北区)は本震後、半日もかからずに利用者の無事を確認。ただ安否だけでなく、「避難状況を確かめる必要があった」と理事長の福島貴志(54)。スタッフはリサーチに走った。
「何か困っていますか? これからどうしたいですか?」。丁寧に聞き取らないと実態は見えない。知的障害などがあると「実際には1日におにぎり1個しか食べていなくても『大丈夫』としか言わない人もいる」からだ。福島は「トラブルを避けて、避難所に行かなかったり、行ってもすぐに出てしまったりした人もいた」と振り返る。
こういった状況を見越して自立応援団は前震翌日にいったん閉じた独自の避難所を本震後、本格的に開設。貢町で運営する就労支援センターを4月いっぱい開放し、受け入れた障害者は最大31人に及んだ。
一方、社会福祉法人くまもと障害者労働センター(東区)も、施設の一部を避難所として提供。周辺地域にちらしを配るなど、ニーズの掘り起こしを試みた。
4月24日、労働センターに「(応急危険度判定で「危険」とされる)赤紙が貼られた家にいたままの人がいる」との電話が入った。精神障害のある男性の身を案じた近所の人からの相談だった。スタッフが急行し、行政側と対応策を検討する道筋をつけた。施設長の倉田哲也(51)は「動くに動けなくなった障害者が、避難できずに取り残されている」。労働センターが直接受け付けた相談だけでも、地震1カ月で50件を超えた。
倉田が共同代表に就いた被災地障害者センターくまもとが必要性を訴えていた「在宅障害者へ支援」は、いよいよ切実なものになっていた。=文中敬称略(小多崇)
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