【あの時何が 県災害対策本部編①】「自衛隊に要請」ためらわず
2016年4月14日午後9時26分、熊本県知事、蒲島郁夫(70)は、県庁に程近い熊本市中央区の知事公舎で、経験したことのない激しい揺れに襲われた。築50年近い公舎の建物や室内の食器棚などは無事だったが、「大きな被害が出ている」。直感した。
いつも午前3時ごろに起きて新聞各紙に目を通す蒲島は、就寝時間が早い。この夜も、県鳶工業組合連合会の設立50周年記念式典に出席した後、午後8時20分ごろに公舎に帰り、就寝しようとしていた矢先だった。
蒲島は数分後、妻富子(69)に「県庁に行く」とだけ告げ、ワイシャツに部屋着のジャンパーを羽織って公舎を飛び出した。公務に必ず随行する秘書も専用の公用車も待たず、約1キロ離れた県庁に向かう路地を走った。
1995年に阪神大震災が発生した時、当時の兵庫県知事、貝原俊民は県庁への到着が遅れたことで、批判を受けた。その回想録が頭をよぎった。
県庁に行く途中の路地では、塀が崩れた住宅もあった。屋外に出ていた人たちに「大丈夫ですか!」と声を掛けながら、「まず自衛隊へ災害派遣を要請しなければ」と、これからの行動に思いを巡らせた。
県危機管理防災課長、沼川敦彦(54)は熊本市中央区の自宅の風呂場で頭を洗っていた。激しい揺れに「震度5強はあるかも」。急いでシャンプーの泡を洗い流し、居間に向かうと、テレビの速報に目を疑った。「益城町で震度7」
県の地域防災計画では、県内で震度6以上の地震が発生した場合、知事をトップとする県災害対策本部を設置することが決まっている。担当課長として「1秒でも早く県庁に行かなければ」。気がはやった。
もう一つ、沼川の頭の中では、別の大切なことが駆け巡っていた。2日後の16日に娘(24)の結婚披露宴を控えていた。「出席は無理だな」
道路は安全かどうか分からない。娘の晴れの姿を見られない。覚悟をしながら、自転車にまたがった。
県庁新館10階にある防災センターでは、残業していた県危機管理防災課の職員約10人が県内10の地域振興局を通じて市町村からの被害情報収集を始めていた。災害時のマニュアル通りだった。
蒲島は前震発生から26分後の9時52分、センターに入った。間もなく沼川らが自衛隊への災害派遣要請を進言。県庁への道すがら同じ考えを巡らせていた蒲島は即答した。
「ちゅうちょせず、やろう」。まだ被害全容は見えないが、通常の災害レベルでないことは“皮膚感覚”が告げていた。蒲島に迷いはなかった。(並松昭光)=文中敬称略、肩書は当時
◇ ◇
戦後の熊本県政にとって、未曽有の災害となった熊本地震。対策の“司令塔”となった県災害対策本部では、被害の把握から人命救助、被災者の救援など状況は目まぐるしく変わった。災対本部の軌跡をたどった。
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