【あの時何が 県災害対策本部編⑪】行方不明捜索の中断、孤立感深める家族
熊本地震の県災害対策本部(災対本部)は昨年4月25日までに犠牲者49人を捜索・確認し、地震直後の応急対応から復旧・復興へとステージを移しつつあった。ただ、熊本学園大4年、大和晃[ひかる](22)=阿蘇市=だけが行方不明のままで、父親の会社員、卓也(59)と母親の忍(50)は孤立感を深めていた。
晃は、阿蘇市の自宅から熊本市の大学に黄色のハイブリッド車で通っていた。4月15日は熊本市に住む大学の友人に救援物資として水を届けに行った。その帰りの翌16日午前1時25分、本震に遭遇。南阿蘇村立野の国道57号を通過中に阿蘇大橋付近で発生した50万立方メートルもの大規模な山腹崩壊に巻き込まれたとみられていた。
しかし、余震が続く中、山腹崩壊の現場一帯には、いつ崩れてもおかしくない不安定な土砂や巨石が残ったまま。災対本部は直下の黒川が流れる谷底には近づけないと判断していた。
このため災対本部は16日以降、県警ヘリから捜索隊員をロープでつり下げ、陸上からは近づけない崩壊の現場付近で被災車両を目視で探したり、国道57号上に堆積した土砂などを取り除いたりする作業を続けた。
捜索は難航した。手掛かりはなく、災対本部は約2週間後の5月1日で、捜索を中断することを決めた。この日までに県警、消防、自衛隊など捜索隊員は延べ2500人を投入していた。
「川が流れる谷底に下りる道がなく、余震も続いている。捜索隊の安全が確保できない」。県危機管理監、本田圭(59)の苦渋の判断だった。県警や消防など現場の実動部隊はもちろん、知事、蒲島郁夫(70)からも異論は出なかった。
卓也は4月27日、阿蘇市の自宅を訪ねてきた本田から「ヘリで上空から捜索は続ける。手掛かりが見つかれば再開するが…」と、捜索中断の決定を聞かされた。「納得できない。探し続けてほしい」と即座に首を横に振った。忍は泣き崩れた。しかし、県の決定は覆らなかった。
県を動かす新たな証拠を見つけようと、卓也は、晃が乗っていた黄色の車を探すため、忍と連日、山腹崩壊の現場付近を歩いた。黒川が流れる谷底の写真を約70メートル上から何枚も撮り続け、パソコンで拡大しては手掛かりがないか目を凝らした。写真の中に1本のタイヤを見つけ、溝のパターンを拡大して販売店に照会したこともあった。
晃は4月16日の朝から家の農作業を手伝う約束をしていた。大和家は兼業で米を作ってきた。「大学を卒業したら地元で就職し、家を継いでくれると感じていた」と卓也。突然、“希望”を断ち切られた現実を受け入れられなかった。
「二次災害の危険があるから捜索に入れない」と繰り返す県幹部の説明にも納得できなかった。(並松昭光)
=文中敬称略、肩書は当時
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