【あの時何が 県災害対策本部編⑩】受援体制の整備という「宿題」抱える

熊本日日新聞 | 2017年8月6日 00:00

支援物資の受発注や在庫管理をするために導入したタブレット端末=2016年4月25日、県庁

 熊本地震の本震から3日後の昨年4月19日、県庁新館2階の政府現地対策本部(政府現対)にいた内閣官房内閣審議官、兵谷芳康(59)の携帯電話が鳴った。2008年から4年間、熊本県の副知事を務めた兵谷。県と国の“つなぎ役”として同日未明に現地入りしたばかりだった。

 「困っているんだって?」。電話の主は前佐賀県知事、古川康(59)だった。一つ一つの避難所にどのような物資があって、何が足りないのかといった情報が、被災市町村や国、県、さらに集積拠点や避難所で共有されていないという話を聞き、電話してきた。

 古川は、兵谷とは旧自治省の同期入省組。知事3期目の14年に衆院議員(佐賀2区)に転身した。全国知事会などで交流する機会も多く、互いに「親友」と認める間柄だ。

 古川が提案したのは、日本IBMが東日本大震災を機に開発した「避難所支援システム」の活用だった。

 避難所の担当者が、食品や衛生用品、薬などの分類から必要な物資を画面操作で選び、発注できる仕組みになっていた。情報は市町村や国、県で共有し、物資の発送・到着の管理もできた。

 この時、救援物資の手配は、市町村や国、県の職員が電話やファクスでやりとりして手作業で集計する“アナログ”方式だった。同じ避難所から不足分が重複して発注されたり、逆に発注漏れがあったりというのが課題だった。

 さらに17日から「プッシュ型」による政府調達物資の大量輸送がスタート。既に企業や自治体、一般からの物資を受け入れていた市町村の集積拠点は混乱していた。

 「使えるかもしれない」。連絡を受けた兵谷はすぐに、ソフトバンクからタブレット端末千台を無償で借り受け、市町村を通じて避難所に配布。試験運用を経て大型連休直前の4月28日から本格稼働を始めた。

 益城町は10カ所の避難所に端末を配布。10月末に避難所を閉鎖するまで活用した。「電話でのやりとりが省かれ、記録も残る。物資の管理業務から手が離れ、ほっとした」。町総務課長補佐、清水裕士(39)は振り返る。

 ただ、県内全体の28日の避難者数は約4万人で、ピークだった17日の18万人から既に大きく減っていた。水道やガスなどライフラインもおおむね回復し、多くの避難所は混乱が収束に向かっていた。結果的に熊本市の避難所では、タブレット端末がほとんど活用されないケースもあった。

 政府の物資支援は最終的に、5月6日まで続いた。この間、熊本に送られたのは、食料だけで278万食に上った。

 「何がいつ、どのくらい被災地に届くのか」「受け入れ態勢をどう整えるのか」-。国、自治体ともに受援体制の整備という「宿題」を抱えた。(並松昭光)
=文中敬称略、肩書は当時

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