【あの時何が 熊本市民病院編④】新生児の搬送先探し 一刻も早く

熊本日日新聞 | 2017年4月6日 00:00

酸素バッグを使って赤ちゃんに酸素を吸入する場面を再現する看護師(手前)。奥は酸素ボンベから赤ちゃんに酸素を与える場面=熊本市民病院

 昨年4月16日の本震で被災し、入院患者全員が避難した熊本市民病院(同市東区)。南館3階の産科病棟に入院していた渡邊晴香(32)=芦北町=は4日前、三つ子の男児を出産したばかりだった。

 病棟は壁が崩落し、粉じんが激しく舞っていた。配られたマスクで鼻と口を覆い、点滴中の患者と助け合いながら、ようやく1階に避難した。心配なのは子どもの安否だ。低体重だった3人はNICU(新生児集中治療室)にいた。「うちの子もNICUです」「きっと大丈夫」。母親同士で励まし合った。無事でいて-。願いはそれだけだった。

 北館3階のNICUとGCU(新生児治療回復室)には、38人の赤ちゃんが入院していた。人工呼吸器装着が7人、鼻につける呼吸補助器6人、酸素投与2人。体重が800グラム台や、心臓手術を受けた子もいる。看護師長の森美乃(55)が駆けつけたとき、1階のリハビリ室に向け、赤ちゃんの避難が始まっていた。看護師が手動の酸素バッグを一刻も休まず動かしている。

 小さく生まれた赤ちゃんは体温調節がうまくできない。保育器外では急激に体温が下がり命に関わる。看護師はバスタオルでくるみ、さらに自分の服を着せ、抱っこして温め、余震の度に覆いかぶさった。「病院が建て替えられていれば移動しなくてよかったのにね。ごめんね」。森は心の中で謝り続けた。赤ちゃんたちはすやすやと眠っていた。
 市民病院はNICU18床、GCU24床がある総合周産期母子医療センターだ。県内の新生児医療の中核として年間約300人を受け入れている。千グラムに満たない超低出生体重児の7割、心臓に病気がある新生児はほぼ全てが運ばれてくる。患者を引き受ける立場だった病院が、搬送先を探さなければならない事態になった。一刻も早く-。

 午前3時11分。副院長の近藤裕一(65)は、大阪大病院小児科講師、和田和子(54)に「県外の搬送先を探したい」と伝えた。NICUの医師らでつくる新生児医療連絡会の事務局長を務める和田は、聖隷浜松病院(浜松市)の新生児科部長、大木茂(56)へ連絡。大木らはNICUの医師の連絡網を作っていた。

 九州の地図を思い浮かべながら、和田は久留米大病院(福岡県久留米市)の准教授、岩田欧介(48)に協力を依頼。岩田はNICUがある病院の状況を調べ始めた。

 大木は、鹿児島市立病院と国立病院機構佐賀病院(佐賀市)のNICUに電話をかけ、当直の医師に「熊本市民病院が大変なことになっています。できることをしてもらえませんか」と訴えた。「熊本へ向かいます」。両病院の医師は即答した。(森本修代)=文中敬称略、肩書は当時

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