【あの時何が 熊本市民病院編③】「命が最優先」患者転院を決断
昨年4月16日。本震で被災した熊本市民病院(同市東区)は、医療機関としての機能を喪失。救急車の受け入れはストップしたが、けが人が次々に訪れてきた。当直の耳鼻咽喉科部長、羽馬宏一(43)は傷口にガーゼを巻きながら、「これ以上の治療はできない。ほかの病院を受診してほしい」と言うのが精いっぱいだった。
一方、入院患者310人が避難した1階は、足の踏み場もない状態だった。「湖東中に移動できないか。どんな状況か見てきてほしい」。総務課主幹の小濱明彦(50)は主事の濱松武史(34)に声を掛けた。湖東中は災害対応マニュアルが定めた避難先。東に200メートルだ。
濱松は技師や看護師らと走った。運動場は車中泊の車でいっぱい。体育館も住民らが避難していたが、余裕はありそうだった。「患者を避難させたいので、場所を取らせてほしい」。避難者にそう話すと、出入りしやすいステージ側に場所を確保した。患者受け入れのため、避難者の一部は2階に移動した。
「50人ほど入ります」。報告を受け移動が始まった。対象は自分で歩ける患者。看護師らに付き添われ、体育館に到着した患者たちは、布団や毛布を敷いた床に身を横たえた。そのころ病院では、心筋梗塞の疑いのあった患者が心肺停止となり、搬送先の病院で死亡が確認された。容体急変の原因ははっきりしないが、思いがけない事態だった。
午前3時半ごろ、院長、副院長、事務局長、看護部長らで経営会議を開き、重症患者から転院させることを決定した。「誰が見ても安全な医療ができる状態ではなかった」と事務局長の藤本眞一(57)。院長の高田明(62)は決断を振り返る。「患者をこれ以上、危険にさらすことはできない。病院避難は最も避けたい選択だが、やむを得ない。患者の命が最優先だった」
搬送の中心を担ったのは各県の緊急消防援助隊(緊援隊)だ。きっかけは、前震後に熊本入りした田川地区消防本部(福岡県田川市)の救急救命士、中島貴秋(42)、白瀧崇洋(37)、吉川剛投[たかゆき](30)の3人。各県から集まった緊援隊431人は県消防学校(益城町)で本震に遭遇、被災状況や基幹病院の情報収集を始めていた。午前2時45分ごろ、3人は市民病院を訪れ、患者搬送が迫られる緊迫した状況を把握した。
「熊本市民病院に、救急車を出せるだけ出してください」。3人の連絡は福岡県隊を通じ、各県の緊援隊に伝えられ、次々と指令が出た。「熊本市民病院へ行け」-。第2陣の到着は午前3時半ごろ、転院決定とほぼ同時刻だった。「筑豊」「長崎」「佐賀」など県外ナンバーの救急車が続々と駆けつけた。(森本修代)=文中敬称略、肩書は当時
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