熊本地震で不明の次男を自力で捜索 大和卓也さん死去 熊日記者が撮ったのは悲しげな表情ではなく…
あまりにも多くのものが失われた熊本地震のさなかに、家族や人の絆を強く信じさせてくれた存在だった。大和卓也さんが4日、1年半の闘病の末、66歳で亡くなった。南阿蘇村の阿蘇大橋付近で起きた土砂崩れに巻き込まれた次男の晃[ひかる]さん=当時(22)=を、行政の捜索が打ち切られた後も自力で捜し続けた。
2016年4月16日の本震から3日後、卓也さんと妻の忍さん(57)は南阿蘇村役場で、阿蘇市の自宅を出たまま行方が分からなくなっていた晃さんの情報を求めていた。車ごと土砂に巻き込まれた可能性が高かったが、被害がすさまじく捜索は手付かずだった。
当時、高森支局長だった私は役場で卓也さんと初めて会った。「あの川底に子どもがおるかもしれんのに、捜索できないのがもどかしい」。苦しさをこらえ、丁寧に言葉を紡ぐ姿を覚えている。長男の翔吾さん(32)を含め、名前や顔を出して報道されることに戸惑いながらも「何か手掛かりがほしい」と必死な思いを感じた。
やがて熊本県警の捜索は始まったが、「二次災害の恐れがある」とすぐに打ち切られた。大和さん家族は自力で捜し続けるしかなかったが、決して「孤独な闘い」ではなかった。捜索には親子の共通の趣味だったバスケットボール仲間や消防団、ボランティアらが次々と加わった。
私も何度も捜索に同行した。本震から3カ月を報じた7月、新聞各紙には悲しげに双眼鏡で川を見つめる卓也さんの写真が載った。私は、川辺を仲間と力強く歩き回る姿を撮った。「晃を必ず取り戻す」という強い覚悟と確信を感じ、読者にも伝えたかった。
7月24日、登山のプロらがこれまで入れなかった土砂崩れの近くまで谷を下り、岩石に埋まった晃さんの黄色い車の一部を見つけた。泣き崩れた忍さんを支える卓也さんも、泣き出しそうだった。県警の捜索は再開し、地震から約4カ月後の8月18日、晃さんは家族の元に戻った。
大和さん家族は毎年、本震が起きた午前1時25分に崩落現場で祈りをささげた。熊本地震で家族や友人を亡くした人と交流し、命や家族の大切さを伝える講演も続けていた。
卓也さんはいつも「報道の取材には全て応じたい」と話していた。親しい記者たちを自宅のバーベキューに招いてくれたこともあった。「捜索に関わった人への感謝は忘れない。長い付き合いで、家族みたいな感覚でもあるから」と笑っていた。
6日の通夜では、捜索で家族を支えた大勢の人が早すぎる別れを惜しんだ。
生前は「息子とあんなことやこんなことを話しておけばよかった、と思う時があるよ」と漏らすこともあった。「真っ暗な土砂の中に一人でいたから、家にいさせてあげたい」と、晃さんの葬儀後もずっと納骨しなかった。今ごろ親子で何を話しているだろうか。(堀江利雅)
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