【あの時何が 熊本市上下水道局編⑥】 漏水修理 技術の壁越え応援生かす
「水道の試験通水の結果、大量の漏水が発生しており、漏水箇所の特定を急いでおります。市民の皆さんからの情報提供をお願いします」-。短文投稿サイト「ツイッター」を使った情報発信を得意とする熊本市長、大西一史(49)は昨年4月17日午後、こんな書き込みをした。同日午前10時半ごろ、上下水道局が一部で試験通水を始めると、流れ始めた水があちこちの水道管から噴き出し、にじみ出た。こうやって見つかる漏水を修理し続けるしか、熊本地震からの本格復旧はなかった。
「千人送り込みます。大臣指示です」。20日、水相談課長(当時)の坂田憲盟[のりちか](59)に厚生労働省から連絡が入った。政府は、被災自治体の要請を待たず物資を送り込む「プッシュ型」支援を水道復旧にも採用。経済産業省が所管するガスに関しては、既に応援業者の派遣態勢が整えられていた。厚労相(当時)の塩崎恭久(66)は「首相も当初から水の復旧を気にしていた。遅れをとるわけにはいかなかった」と振り返る。18日には全国管工事業協同組合連合会に自ら連絡を入れ、協力を取り付けた。「復旧部隊は待たせてもいい。プッシュしまくった」
一方、水道局が漏水修理で見込んだ応援要員は600人程度。しかし、通水再開が思うように進まず、応援の大量投入は見通せなかった。さらに、県外業者が即戦力にならない難題も抱えていた。市内の水道管の多くはポリエチレン製だが、例えば東京はステンレス製。異なる材質は修理技術の違いに直結する。熊本でよく使う「断水ごま」で管内の水をせき止めて作業する技術も、他県では一般的でなかった。修理技術を共有する態勢づくりが急がれた。
市管工事協同組合理事長、工藤光明(65)は20日、塩崎から直接連絡を受け、かつての苦い経験を思い出していた。2011年の東日本大震災で態勢を整えながらも現地の事情で実現しなかった支援活動のことだ。当時は悔しさを感じたが、被災側に立って初めて、その困難さを痛感したという。
打開策として水道局は、市内を50区画に分け、関東や中部などエリアごとにまとまりで区画を受け持ってもらい、状況に応じて業者を投入する仕組みを打ち出した。22日から5月17日までに延べ5200人を受け入れて5千カ所超の漏水を解消。奏功したのは市管協の加盟業者(当時98社)の力があってこそだった。
大きな管工事の場合、他の自治体では土木業者が担うことも多いが、「熊本市では普段から私たち“水道屋”に任せてもらっている。培われた技術があった」と工藤。各社は区画ごとに応援業者への技術指導も担い、条件が厳しい山間部では主力となって直接工事に当たった。
地震が要因とみられる漏水の通報は、発生1年半を経ても1日10件前後に上る。復旧は道半ばだ。=文中敬称略
(高橋俊啓)
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