もっと詳しく「公害の原点」水俣病

熊本日日新聞 | 2022年4月25日 16:58

公害認定を前に水俣市を訪れて胎児性患者を見舞う園田直厚相(右手前)=1968年9月
「ネコ全滅」熊本日日新聞に掲載された記事=1954年8月

 「公害の原点」と呼ばれる水俣病は、熊本県水俣市で操業していた原因企業チッソが、毒性のあるメチル水銀を含んだ工場排水を不知火海に流したために発生し、排水で汚染された魚介類を食べた人たちの脳や神経に損傷を負わせました。

 不知火海の中でも水俣湾周辺は豊かな漁場でした。しかし、遅くとも1953(昭和28)年ごろ、沿岸に点在した漁村に異変が起きます。海鳥が落下し、ネコが狂って海に飛び込み始めました。その後、漁村の住民たちも次々に原因不明の病気に襲われました。

 手足のしびれや震え、視野が狭まったり、歩行困難になったり…。激しいけいれんを起こして寝たきりの患者もいました。チッソ付属病院の故細川一院長が56年5月1日、重い症状の幼い姉妹ら4人について水俣保健所に届け出たのが、水俣病の公式確認とされています。チッソが排水を流す場所を水俣湾から水俣川河口に一時変更したこともあり、被害は津奈木町や芦北町、対岸の天草や鹿児島県側などに拡大しました。

「漁民決起」工場に押し入って警官隊と衝突する漁民たち=1959年11月
補償を求めて工場正門に座り込む患者ら。この後、チッソと見舞金契約を結ぶ=1959年11月

 ■原因「確定」に12年

 原因究明を担った熊本大研究班は当初からチッソの工場排水を疑い、59年7月に原因物質として「有機水銀説」を発表します。これに対し、チッソは「実証性のない推論」と反論しました。付属病院で、工場排水をネコに直接与える実験で水俣病を発症した事実を知っていたにもかかわらずです。時代は、戦後の復興で「経済」が優先された高度成長期。中央の学者や化学業界をはじめ、通産省(当時)も、チッソを擁護しました。企業城下町で、大半の水俣市民も操業停止や工場排水の規制に反対しました。

 結局、政府が「水俣病の原因はチッソの工場排水」として公害病に認定したのは68年9月。既に公式確認から12年が経過し、新潟では第二の水俣病も発生していました。国が排水規制に乗り出す前、その年の5月にはチッソは水銀の排出源だった製造工程の操業を終えていたのです。

 2004年の最高裁判決は、国と熊本県が1960年1月以降、工場排水を規制する義務を怠ったとして行政の不作為が被害を拡大させたと判断しました。

1次訴訟の判決を控え熊本地裁前で開かれた集会=1973年3月20日
「最高裁判決」”国、県の責任認める”と書かれた垂れ幕を広げる関西訴訟原告=2004年10月

 ■遅れた患者補償

 患者補償も遅々として進みませんでした。59年12月、チッソは初期の患者と「見舞金契約」を結びます。死者1人30万円など当時でも極端に低額で、原因が究明されていないことを理由に、水俣病で働き手を失った患者と家族の困窮に乗じた内容でした。

 見舞金契約で「終わった」とされた患者補償は、68年の公害認定で再燃します。73年3月、見舞金契約に押し込められた患者らの訴訟で熊本地裁は、チッソに患者1人当たり1800万~1600万円の賠償を命じました。医学の専門家による審査会を経て県知事が患者を認定する制度も始まり、申請者が急増しました。

 ただ、国の患者認定基準は複数の症状の組み合わせを原則としたため、患者と認められない人が続出しました。80年以降、各地で国や熊本県も被告に加えた裁判が起こされ、行政が敗訴した判決もありました。そんな中、長引く混迷を収拾しようと政治が動きます。95年に政府は一時金260万円などを支給する解決策をまとめ、新潟を含めて約1万1千人が応じました。

 被害を拡大させた国と熊本県の責任が確定した2004年の最高裁判決を境に、埋もれた被害が再び噴き出します。09年には2度目の政治決着となる水俣病特別措置法が成立し、約3万2千人に一時金210万円が支給されました。

 これまでに行政が認定した患者は2千人余り。これに対して、2度の政治決着は、対象者を患者と認めないまま救済する内容でした。被害者が補償を求める裁判は、公式確認から半世紀以上がたった今も続いています。不知火海沿岸では、被害の実態を把握する大規模な住民健康調査は実施されておらず、水俣病の全容は分かっていません。

水俣市街地にある水俣病原因企業のチッソ。奥は不知火海=2017年5月、水俣市(高見伸・山本遼、小型無人機で撮影)

 ■環境と絆の復元

 公害は、環境復元も大きな課題です。水俣病では、チッソが排出した水銀ヘドロが水俣湾などに堆積していました。県は1977年10月に対策事業に着手。一定の基準を超える水銀ヘドロ約151万立法メートルをしゅんせつして湾奥部の約58ヘクタールに埋め立て、90年3月に完了しました。事業費はチッソと国、熊本県が分担して計約485億円を投じました。

 水俣市では、被害者と原因企業の関係者が同じ地域で暮らしています。水俣病問題で地域の衰退を恐れる市民が多数を占める中、患者たちはいわれなき中傷や差別にさらされました。市は94年から、船のロープをくくり直す意味の「もやい直し」を掲げ、分断された地域社会の絆の修復に取り組んでいます。

不知火海に隣接するエコパーク水俣。左の3つの建物が水俣病関連施設=2017年5月、水俣市(高見伸・山本遼、小型無人機で撮影)

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