よみがえれ熊本城 地震から5年、職人たちの闘い

熊本日日新聞 | 2021年04月15日 17:52

熊本地震から約5年を迎え、復旧工事が完了した熊本城天守閣=5日、熊本市中央区(小型無人機で撮影)

 熊本城は、熊本地震で城内に13棟ある国重要文化財全てが被災し、石垣は約3割が被害を受けた。熊本市が「復興のシンボル」として最優先に工事を進めた天守閣は復旧が完了し、26日から内部の一般公開が始まる。天守閣のほか、国重文の一つである長塀の復旧は1月に完了したが、そのほかの国重文や復元建造物の復旧はこれからだ。全ての工事完了は2037年度の予定という長い道のりになる。熊本城復旧の5年をまとめた。

(文・魚住有佳、園田琢磨、写真は写真映像部)

鯱瓦、完成に10カ月 「乾燥、焼成の収縮率も計算」

江戸期の鯱瓦(左奥)を参考に、大天守の鯱瓦を製作した鬼師の藤本康祐さん=2017年6月、宇城市(藤本さん提供)

 地震発生時、「天守閣から煙が出ている」という声が市民から寄せられた。その正体は屋根瓦の下にあった葺[ふ]き土。熊本城総合事務所は、激しい揺れで土ぼこりが舞い、夜間なので白煙に見えたのだろうとみている。

 大天守の最上階でほとんどの瓦が落下したため、今回は大小天守とも屋根瓦を固定。被災前は赤茶色の葺き土に瓦を載せただけの「湿式」だったが、復旧工事では「乾式」工法を採用。軽量コンクリートの軀体に並べた桟木に銅線やくぎで瓦を固定したことで、結果的に軽量化と耐震化にもつながったという。

 瓦は可能な限り再利用するため、撤去前に破損の有無を確認して選別。しかし、実際に使用できたのは総数約7万8千枚(約30種)の2割程度にとどまったという。

 新規の瓦のうち、鯱[しゃち]瓦2対と鬼瓦の一部は宇城市の藤本鬼瓦が担当した。県内唯一の鬼師[おにし]、藤本康祐さん(61)にとって熊本城の鯱瓦の製作は2度目。13年前、鯱瓦を新調した父勝巳さん(故人)を手伝った経験がある。今回は代替わりし、長男修悟さん(32)と製作した。

 大天守の鯱瓦は、高さ1・2メートル、重さ約100キロ。民家用の8倍以上の大きさだ。余震も残る2016年10月に粘土作りから始め、完成まで約10カ月かかった。康祐さんは「下から順に成型し模様を彫っていく。乾燥や焼成による収縮率も計算しながら作るのが大変だった」と語る。

 2カ月以上乾燥させた後に3日間焼成。深みのあるいぶし銀は、焼きの終盤に燃料ガスを一気に注入し、炭素の膜を作ることで生まれた。「100年以上は保ってほしい」。康祐さんは願い続けている。

より黒く、外壁塗り 「違い出ぬよう、入念に色合わせ」

黒く輝く大天守の外壁=2019年12月20日

 「白鷺城」と称される世界遺産の姫路城(兵庫県)は「白い城」の代表格として知られるが、熊本城は国宝松本城などと並んで「黒い城」として名高い。復旧工事では塗料の種類や塗り方にこだわり、より黒く生まれ変わった。

 塗装は、熊本城の本丸御殿や復元櫓[やぐら]、他県の国重要伝統的建造物群保存地区でも用いられた木材保護塗料の改良版を使用。表面に膜が張らず、顔料が高濃度に配合されているため、雨風に強く着色性も高い。仕上がりは古い城などにも使われた伝統塗料「渋墨[しぶずみ]」に近いという。

 さらに耐久性を高めるため、標準の2回塗りを3回塗りにした。「塗り直しは足場を組んだりしなければならず、簡単にはできない。金属部分は、木と違いが出ないように色合わせも入念にした」と熊本城総合事務所の田代純一さん(39)。

 外壁の部材で多くを占めるのが、横板を重なり合うように取り付けた「下見板」。既存の板を取り外す前に全ての位置や寸法を記録した上で、当時の資料や被災前の写真とも突き合わせながら、新たに図面を作成して修復工事に臨んだ。

 苦労したのは、下見板の寸法が均等でなかった点。材木は均一に切り出す方が作業コストが下がるが、目指した姿が被災前の外観だったため、バラバラの寸法もあえて忠実に再現している。

 本丸御殿などの修復も手掛けた大工の三嶋俊廣さん(66)、康稔さん(35)親子=熊本市北区植木町=は、地上6階の高所での作業に加え、下見板を押さえる細い部材「簓子[ささらこ]」の調整が難しかったと振り返る。

 康稔さんは「最初に黒色に塗装すると細部が見えなくなる。仮取り付けをして位置などを確認した後、部材を外し、塗装して再び取り付けた」と「職人の技」を語った。

長塀240メートル、部材見極め 「正しい答えない。経験、感覚が頼り」

熊本地震からの復旧工事が完了した長塀。坪井川沿いからは、白さが際立って見える=2021年1月29日

 東側から約80メートルにわたって倒壊した長塀(全長約240メートル)は1月に修復が完了し、熊本城内に13棟ある被災した国重要文化財で復旧第1号となった。文化財としての価値を損ねないよう、いったん解体した上で修復が進められた。

 長塀は加藤家時代に創建され、災害などによる修理が繰り返されてきた。現在は柱が135本あり、棟木や貫、水切りなど20種類を超える部材が使われている。国重文の修復は、なるべく元の部材を使うのが基本で、木材や屋根瓦は約7割が再利用された。

 地震以前からの復元事業から関わる大工の猿渡信浩さん(60)=熊本市=は修復に入る前、保管庫に集められた膨大な部材一つ一つを再利用できるかどうか見極め、破損があったものは新しい木材を継ぎ足すなどの補修をした。

 猿渡さんは「棟梁[とうりょう]が別の人なら、違う判断になることもある。正しい答えがあるわけではないので、自分の経験や感覚を頼りにした」と振り返る。

 熊本城と言えば、白壁が映えた美しい長塀の姿を思い浮かべる人も多い。復旧工事では、左官の河瀬幸哉さん(63)=宇城市=らが、しっくいで白壁を仕上げ、屋根瓦の接ぎ目に防水などを目的とした「目地しっくい」を施した。

 坪井川側から見える長塀には柱による区切りがなく、切れ目のない長さ約240メートルの壁にムラなくしっくいが塗られている。熟練した技術とスピーディーな作業が求められ、8人ほどが2日間で一気に仕上げたという。河瀬さんは「部材の間に隙間が空かないようにしっくいできちんと埋め、見た目も美しく塗り上げるという両立にこだわった」と語る。

石垣解体、そして再構築 ​「石にも“顔”。それを美しく積む」

積み直しが完了した大天守北側の石垣=2018年10月16日

 2019年6月に復旧が完了した天守閣の石垣は、崩落や膨らみなどの大きな被害があり、大天守は793個、小天守では2276個を、それぞれ半年近くかけて積み直した。修復した面積は、大天守が全体の約2割、小天守が約5割に当たる。

 石垣の解体は、最上段から1段ずつ進められる。石垣を強くするため裏側に詰められた「ぐり石」を石工らが手作業で取り除いた後、1個ずつワイヤに引っかけてクレーンでつり上げて取り外す。この一連の作業を延々と繰り返していく。外した石を元の位置に正確に積み直せるよう、石材にはこぶし大程度の間詰め石も含めて一つずつ番号が付けられた。

 一部が欠けた石材などは補修するなどして可能な限り再利用するが、補修が難しいものは新しい石材に交換。もともと熊本城の石垣には金峰山周辺で切り出した安山岩が使われており、道路工事のために熊本市西区花園や池上町の山を削ったところ、同じ安山岩が出たためこの石を有効活用したという。

 石垣用に加工する時には、伝統技法が使われた。元の石に合わせて一つずつ“型紙”を作った後、切断したい部分に沿って工具で「矢穴」を入れていき、そこに鉄製のくさびのような「矢」を差し込んでたたき、石を割っていく。今回は地震の揺れに強くなるよう、石材の「控え」(奥行き)を長めにしたという。

 これまでも熊本城の石垣の補修に当たってきた石工の河本浩次さん(47)=同市=は「全く同じ石は存在せず、人間のようにそれぞれ違う“顔”がある。それを強く、美しく積むのが俺たちの仕事です」と語る。

崩落石、現状保存の場も

特別見学通路から見た竹の丸からの通路。石垣が崩れたままになっている=2020年4月29日

 熊本城の石垣は、全体(約7万9千平方メートル)の約3割に当たる約2万3600平方メートルが膨らみなどの被害を受けた。そのうち約8200平方メートル(全体の約1割)が崩落。復旧が完了した石垣は天守閣のみで、「一本石垣」で有名な飯田丸五階櫓[やぐら]の石垣の解体復旧にも着手している。

 熊本城総合事務所によると、崩落石のうち、回収を終えているのは通行の妨げになるものなど約1万5千個。概算で崩落石全体の半数程度という。石垣の解体復旧工事は、箇所ごとに石の回収から復旧まで一連の流れで作業を進める方針を取っているため、崩落した状態で残されている石も多い。「崩落した状態で現場を保存しておくことで、復旧のための情報が多く残される」と同事務所はいう。

 今後は、国重要文化財の建造物を支える石垣の復旧を優先する方針。耐震性などを考慮しながら、なるべく手を加えずに元のまま石を残せるよう、解体部分などについて専門家でつくる委員会で検討を重ねている。

 2021年度は、飯田丸五階櫓の下にある要人櫓台石垣と国重文である監物櫓の石垣の積み直し、平櫓の石垣の解体を進める。それ以外の石垣の復旧工事のスケジュールは未定という。

記事アクセスランキング

フォローする

  • facebook
  • twitter
  • LINE
  • youtube