【あの時何が 益城町役場編①】激震の体育館 住民守った判断

熊本日日新聞 | 2018年1月4日 00:00

熊本地震の本震でメインアリーナの天井板や照明が落下した益城町総合体育館=2016年4月16日(益城町提供)
熊本地震が起きる前の同体育館(益城町提供)

 突然、震度7の激震に見舞われた益城町はパニックに陥っていた。

 「もう抑えきれません。早くアリーナを開放してください!」

 熊本地震の前震から一夜明けた2016年4月15日早朝。益城町役場の災害対策本部に詰める都市計画課長の杉浦信正(59)の元に、町総合体育館から悲痛な訴えが届いた。

 町役場から1キロほど南東にある町総合体育館や周辺には、数え切れないほどの住民が押し寄せている。しかし、最も広い1階のメインアリーナは地震で天井板の一部が落下し、立ち入りを禁止していた。ロビーや通路は避難してきた住民であふれ、建物内に入れない人も相次いだ。

 「アリーナを開けろ!」

 「冷たいコンクリートの上にいつまでおらせるとか!」
 余震の恐怖と寒さに震える住民たちが、次第に殺気立っていく。災害対策本部には、耐えかねた現場の職員たちから何度も助けを求める電話が寄せられた。

 「余震が続いています。アリーナに住民を入れるのは危険です」
 前震直後、町総合体育館の被害状況の確認に走った健康づくり推進課長の安田弘人(59)は、町長の西村博則(61)に報告を上げていた。安田の目にアリーナの天井板や照明は今にも落ちそうに映った。再び大きな揺れが来れば、二次被害を招く恐れがあると感じた。だが、町内の公共施設は、大半が被災している。新たに住民の避難先を確保することは容易ではなかった。

 アリーナを開放すべきなのか-。判断を迫られた西村は15日昼前、杉浦とともに現場を視察。被害は前方のステージ側に集中し、後方部分は問題がないように見えた。

 「後ろ半分だけでも住民を入れるか?」。西村が問い掛けると、杉浦は答えた。「天井板が落ちるかもしれません。子どもがステージに上がってしまう危険性もあります。ただ、最後は町長の判断です」

 14日夜から15日未明にかけ、強い揺れが断続的に襲っていた。悩み抜いた末に西村は決断を下す。

 「住民には申し訳ないが、アリーナを開放することはできない」

 16日未明、誰も予想しなかった2度目の震度7が町を襲う。アリーナでは1枚約5キロの天井板や、1基約7キロある照明器具のほとんどが落下。それらを支えていた金属枠も落ちて床に突き刺さった。

 熊本地震から1年8カ月が過ぎた今も、その光景を思い出すたびに西村の背筋は凍り付く。

 「あの時、住民たちを入れていたら、どれほど犠牲が出ていたか分からない」(益城町取材班)=文中敬称略、肩書は当時
     
 熊本地震で2度の震度7を記録した益城町。町内の9割を超す住宅が被災し、ピーク時には約1万6千人が避難所に身を寄せた。未曽有の災害と向き合った町役場の動きをたどった。

 *益城町役場編は久保田尚之、後藤幸樹、岩崎健示、浪床敬子が担当します。

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