人間魚雷「回天」搭乗の先輩…平和願い語り継ぐ 済々黌OBら遺文集刊行【くまもと戦後79年】

熊本日日新聞 2024年5月26日 23:00
海軍機関学校を卒業した時の豊住和壽さん(『海軍少佐豊住和壽遺文集』から)
海軍機関学校を卒業した時の豊住和壽さん(『海軍少佐豊住和壽遺文集』から)

 済々黌高(熊本市中央区)出身の戦死者を顕彰している同窓生有志の会が、人間魚雷「回天」の搭乗員として太平洋戦争で戦死したとされる豊住和壽さん(享年21)が残した手紙や日記をまとめた遺文集を刊行した。同会は「豊住さんの生き方から、後輩たちに平和の尊さを感じ取ってほしい」としている。

 豊住さんは1941(昭和16)年、旧制中学済々黌を卒業。京都府舞鶴市の海軍機関学校などで学んだ。南洋に向かう途中の45年1月、回天を搭載した潜水艦ごと行方不明となって戦死したとされる。当時、海軍中尉で、没後に少佐に昇進した。

 遺文集は元々、日本学協会(東京)の古村博文さん(74)=愛知県一宮市=と回天研究家の久保慶子さん(37)=広島県呉市=が、豊住さんの弟、和史さん(81)=熊本市中央区=宅に保管していた資料などを基に2022年、私家版としてまとめた。そのことを知った有志の会が、戦禍に散った先輩を語り継ごうと、資料を加えるなどして製本した。

豊住和壽さんの遺文集を刊行した英霊顕彰済々黌有志の会の多久善郎さん(右)と編集に携わった回天研究家の久保慶子さん=25日、熊本市中央区
豊住和壽さんの遺文集を刊行した英霊顕彰済々黌有志の会の多久善郎さん(右)と編集に携わった回天研究家の久保慶子さん=25日、熊本市中央区

 遺文集には、豊住さんが家族などに宛てた手紙や、厳しくも誇りを持って励んだ訓練の様子を記した日記、出撃前の写真などを収めている。海軍機関学校に進んだ40年12月から出撃直前の45年1月3日までを日付順に紹介。和壽さんの出撃前の帰省の際に、顔を合わせた母親シズさんの思いなども記されている。

 5月25日、有志の会が済々黌高近くの多士会館で開いた追悼式で、遺文集の刊行を報告。講演した久保さんは「年の離れた弟(和史さん)が生まれたうれしさをつづる家族へ宛てた手紙からは、弟への大きな期待と喜びが伝わる」「出征前の帰省に触れた日記からは、国のために戦う決意がうかがえる」などと話した。

 和史さんは「兄は国のために懸命だったと思う。そのことを多くの人に知ってもらえれば、ありがたい」。有志の会の多久善郎事務局長(70)は「戦争で亡くなったという事実だけではなく、国を思い、家族や友人を愛した先輩の人生を、現代の生徒たちも知ってほしい」と話した。

 遺文集はA4判、254ページ。250部印刷し、2千円で販売する。多士会館☎096(345)3002。(石井颯悟)

太平洋戦争などで戦死した同窓生を追悼する英霊顕彰済々黌有志の会のメンバー=25日、熊本市中央区
太平洋戦争などで戦死した同窓生を追悼する英霊顕彰済々黌有志の会のメンバー=25日、熊本市中央区

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