「天草五人衆」の子孫たち 受け入れた文化、自らとどめ <細川キリシタン群像/稲葉継陽⑯>

熊本日日新聞 2024年4月17日 06:05
天草七丞が牢人衆組頭をつとめた嶋少右衛門尉に出した8月16日付の申告書。自分は上津浦六左衛門の親類だが、加藤忠広改易で牢人となり、細川家に奉公を希望していたので、原城攻めに加わったと事情を説明し、仕官に望みをつないでいる(熊本大付属図書館所蔵松井家文書)

 天草七丞[しちのじょう]と上津浦太兵衛。寛永15(1638)年2月に原城を攻めた細川軍の中に、この2人はいた。天草の本渡や上津浦は、彼らの祖父の世代までの領地で、原城には、そこの住民たちも大勢籠城していたのだ。  いま「天草五人衆」と呼...

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