【この人に聞く・熊本地震21】熊本シティエフエムパーソナリティーの水野直樹さん 災害速報、生活情報を発信 「声通して寄り添い合う」

熊本日日新聞 2016年7月10日 00:00
 ◇<b>みずの・なおき</b> 1972年岐阜県笠原町(現・多治見市)生まれ。京都外国語大を卒業後、時事通信社熊本支局勤務などを経て、熊本シティエフエムパーソナリティー、一般社団法人職員、防災NPO代表などを務める。「校区のチカラ」(毎週金曜午前11時)「防災ひろめ隊」(同土曜午前9時)などの番組を担当。
 ◇みずの・なおき 1972年岐阜県笠原町(現・多治見市)生まれ。京都外国語大を卒業後、時事通信社熊本支局勤務などを経て、熊本シティエフエムパーソナリティー、一般社団法人職員、防災NPO代表などを務める。「校区のチカラ」(毎週金曜午前11時)「防災ひろめ隊」(同土曜午前9時)などの番組を担当。

 熊本シティエフエム(熊本市)は熊本地震を受け、臨時災害放送局「くまもとさいがいエフエム」として13日間、24時間放送を続けてきた。被災者に向けて、どう情報を伝えてきたのか。同局のパーソナリティーで、防災NPOの代表でもある水野直樹さん(43)に聞いた。(西國祥太)

 -臨時災害放送局として24時間、災害速報や生活情報を伝えてこられました。

 「4月18日から30日まで、パーソナリティーが8時間ごとの3交代制で生放送を続けた。熊本市が発表する避難所や給水、銭湯、交通などの情報を紹介し、視聴者から寄せられた情報も発信した。約5千件の反応があり、『ここの道が通れなくて困っている』『こちらの道は通れますよ』など、双方向の情報交換ができた」

 -音楽のリクエストでは、小学校の校歌も多かったそうですね。

 「曲は、メッセージの一つだと思う。その人にとって聴くことで元気になり、前向きになれる曲を届けたかった。幸い地震直前、開局20周年の特別番組用に、市立小学校の校歌を録音していた。全95校のうち、約80校の校歌を流した。校歌は年代を超えたヒットソング。避難所となっていた各校で歌われたと聞いた」

 -放送で心掛けていたことは。

 「視聴者に寄り添い合うこと。ラジオの向こうにいる人たちに、語りかけるつもりで情報を届けてきた。寄せられた電話やメール、ファクスから読み取れる人々の感情を、声を通して伝えたい。ラジオで名前が呼ばれることで『自分は忘れられてないと感じた』という人もいた」

 -防災士の資格を持ち、防災番組で災害への備えを紹介しています。日ごろどんな心構えが必要ですか。

 「『あるものでどう生活するか』を想像してほしい。新聞紙があれば、羽織って防寒着になり、応急のスリッパなどにも活用できる。災害時に、水や食べ物は満腹になるほどは必要はない。どれくらいの備えがあれば1日生活できるかを想像することで、生きる力が鍛えられ、自助にもなる」

 -防災NPO「ソナエトコ」代表として、避難所での支援活動も続けています。

 「五つの避難所で、足湯や茶話会を開いている。ここでも大切にしているのは避難者の声を聴くこと。布団干しなどを通して、地震前の日常を取り戻してもらえるよう、活動を続けていきたい」

RECOMMEND

あなたにおすすめ
Recommend by Aritsugi Lab.

KUMANICHI レコメンドについて

「KUMANICHI レコメンド」は、熊本大学大学院の有次正義教授の研究室(以下、熊大有次研)が研究・開発中の記事推薦システムです。単語の類似性だけでなく、文脈の言葉の使われ方などから、より人間の思考に近いメカニズムのシステムを目指しています。

熊本日日新聞社はシステムの検証の場として熊日電子版を提供しています。本システムは研究中のため、関係のない記事が掲出されこともあります。あらかじめご了承ください。リンク先はすべて熊日電子版内のコンテンツです。

本システムは「匿名加工情報」を活用して開発されており、あなたの興味・関心を推測してコンテンツを提示しています。匿名加工情報は、氏名や住所などを削除し、ご本人が特定されないよう法令で定める基準に従い加工した情報です。詳しくは 「匿名加工情報の公表について」のページ をご覧ください。

閉じる
注目コンテンツ
熊本地震