【あの時何が 熊本市上下水道局編①】 「水の都」の弱点、井戸濁る

熊本日日新聞 | 2017年10月28日 00:00

直径700ミリの水道管が破損し、大量の水が噴き出した上沼山津橋付近の漏水現場=2016年4月16日、熊本市東区(市上下水道局提供)

 「井戸の濁りはどうなんだ」。昨年4月14日午後10時ごろ、熊本市上下水道局維持管理部長の中島博文(61)が中央区水前寺の局庁舎3階に駆け上がると、壁面の大型モニターには「取水停止」を意味する緑色の表示があふれていた。全ての上水道用井戸96本の状況を把握できる水運用センターのモニター。伝えるのは、熊本地震の前震で69本の井戸に生じた濁りだ。市内の4分の1に当たる約8万5千世帯へ水を供給できない状態に陥っていた。

 地下水が支える「水の都熊本」の上水道。水源地の井戸からくみ上げた水は塩素消毒後、いったん配水池のタンクにためられ、総延長3414キロに及ぶ水道管を通じて家庭に届けられる。河川やダムの水を浄水処理する他都市と違い、水源が点在しているため、通常はトラブルも分散。「災害に強い」とされてきた。

 ただ、唯一の弱点が濁りだった。地震で揺さぶられると地下で濁りが生じ、基準値を超えると自動的に取水を停止。日ごろは「蛇口からミネラルウオーターが出る」といわれるほど良質なため、ほとんどの井戸にろ過装置はない。取水再開には濁った水を廃棄し続け、透き通るのを待つしかない。

 「震度3でも濁ったことはあったが、これほど多くの井戸に影響が出たのは初めて」。こう振り返る中島は1979年の入庁以来、水道局一筋で、水道管の修理・移設を管理する部署が長い。「修繕屋」を自任するベテランも1万世帯以上の断水は2004年、落雷が影響した一度しか経験したことはなかった。

 間もなく計画整備部長の田川浩(59)が駆け付けた。15年の台風15号や16年の寒波で一部断水した際、中島と共に現場を指揮。桁違いの非常事態に田川は確認を急いだ。「緊急遮断弁は動いたのか」

 震度6弱以上で、配水池からの送水を瞬時に止める緊急遮断弁。井戸からの取水がストップしても、全市民の1週間分の飲み水約6万トンをタンク内に確保できる。作動したのは今回が初めて。「命水は確保できた」と田川は思った。

 それでも、取水再開は急務だ。ただ、被害の確認や濁った水を廃棄するバルブ操作を急ごうにも、人員は限られていた。市地域防災計画は震度6弱以上の地震発生時、市職員の全員参集を規定しているが前震後、登庁できた水道局職員は約6割にすぎなかった。田川が最優先で職員を向かわせたのは「うちの心臓」。東区の健軍水源地だった。

 市全体の2割の取水量を誇る最大の健軍水源地には、ポンプに頼らず自噴する井戸もある。通常の供給先だけでなく、より広域に水を融通できる頼みの綱は、前震から1時間半後に「無事」が確認された。15日の明け方には、市全体の被害状況がほぼ判明。昼ごろから濁りも徐々に解消し、約9割で取水が回復した。

 最大の被害は東区の上沼山津橋を通る水道管の漏水だった。約6万世帯を賄う高遊原配水池へ水を送る大動脈の一つだが、健軍水源地から補給できた。中島らは「16日朝には通常通り、市全域で供給が可能になる」との手応えを感じていた。

 万全を期して給水車も準備した。そして16日午前1時25分。幹部でただ一人、局庁舎に残った中島は3階の喫煙所で一服しながら、部下に話し掛けた。「ヤマは越えたな」。その瞬間、2度目の激しい揺れに襲われた。=文中敬称略、肩書は当時
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 熊本地震で被災した市民は、当たり前の存在だった「水」の貴重さを痛感した。「どうやって水を届けるか」。給水と断水解消に力を尽くした熊本市上下水道局の動きを振り返る。(高橋俊啓)

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