【連鎖の衝撃 メディア編⑤】過熱取材の影 報じられなかった窮状
屋根をブルーシートが覆う家、柱がずれて壁が傾いた家、崩れた石垣でふさがった道-。御船町の高木地区には、熊本地震から3カ月以上過ぎた今も、爪痕が生々しく残ったままだ。
「食料も水も何もなかった。見捨てられた町、見捨てられた地区だと思った」。区長の宮本力さん(67)は、全壊した自宅の前で地震発生直後の地区の様子を振り返る。
熊本地震で御船町は、建物約2200棟が全半壊した。これは、熊本市と益城町に次ぐ規模だ。ところが当時、熊日を含むマスコミの報道は多くの犠牲者が出た益城町や南阿蘇村、西原村に集中。地震直接の犠牲者が1人だった御船町の被害が報じられることはほとんどなく、支援の手は届かなかったという。
藤木正幸町長は前震から4日後の4月18日夜、町のホームページで水や食料の支援を呼び掛けた。「物資不足が深刻化していて、ほかに打つ手がなかった。翌朝にはたくさんの物資が届き、やっと町の窮状が少しは伝わったんだと思った」
一方、御船町は防災行政無線が未整備で、物資支給や避難所の状況など、町から町民への情報も届き難い状況が続いた。フェイスブックやツイッターを駆使し、町外の知り合いらに水やおむつなどの直接支援を求めた町民も多かった。
大規模な災害時、犠牲者が出た場所に報道が集中し、他の被害がなかなか伝わらないケースは過去にもあった。1999年9月に起きた台風18号では、高潮で12人の死者が出た旧不知火町松合(現宇城市)に注目が集まる一方、不知火海沿岸の農地の塩害は、しばらく見逃されていた。
「海水が川から滝のように流れ込み、一帯の田んぼやハウスが泥で埋まっていた」。旧松橋町(同)の砂川地区で区長を務めていた農業吉田次義さん(74)の記憶は今も鮮明だ。
熊日が塩害を大きく取り上げたのは、高潮被害から約2週間後。見出しは「農地にヘドロ、機械も冠水…農業続けられない!!」。農業後継者が開いた緊急集会で上がった悲痛な叫びが記事となった。
この記事が掲載された日。当時の福島譲二知事は定例記者会見で、「私もこれまで松合に集中していたため、塩害地帯の状況を現地で見る機会がなかった」と吐露。現場の視察と対策強化を約束した。被害が報じられたことが、行政を動かすきっかけとなった。
犠牲者や被災者の周辺で報道が過熱する影で、見過ごされる被害。どうすれば、被害の全体像をいち早く伝えられるのか。「せめて益城町の記事の末尾でいいから、御船町のことも書いてくれたら」。藤木町長は今でも強く思っている。(池田祐介、田中祥三)
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