「推し」がある幸せ たまに訪れる歓喜は、たまにであるがゆえに尊く<WEBコラム・赤馬のキセキ>
16日のサッカー天皇杯決勝で、J2の甲府がJ1の広島を破って優勝した。今季の甲府はリーグ戦では18位で現在7連敗中。それが勝ってしまうから、サッカーは面白い。J2勢の優勝は過去にFC東京が果たしているが、その時は既にリーグ戦でJ1昇格を決めており、今回は史上最大の下克上だ。
試合の中継映像で映し出された甲府サポーターの高齢男性の姿が話題になっている。背中がやや曲がった男性は最前列で応援の旗を振り、PK戦の末、チームの勝利が決まるとタオルで涙をぬぐっていた。甲府というチームが過ごしてきた苦難と歓喜の歴史を象徴する姿だった。
甲府は1965(昭和40)年に発足した社会人チーム「甲府クラブ」がルーツ。その後、関東リーグ、日本リーグ2部、日本フットボールリーグ(JFL)を経て、99年に始まったJ2に参入した。しかし、プロリーグの壁は厚かった。勝てない試合が続き3年連続最下位。観客は集まらず、累積欠損金は4億円を超えた。
存続の危機にあったクラブを地域とのふれあい活動が支えた。選手たちの病院や施設への慰問、子どもへのサッカー教室、お祭りへの参加などの地域に根差した活動で触れ合った人たちがサポーターとなり、スポンサーとなる企業が出始めた。今は、どのJクラブでもやっている地域貢献活動の始まりは甲府だった。人と人との交流から派生したクラブ、スポンサー、サポーターの結び付きはきめ細かで根強い。メインスポンサー企業の工場が火事で焼けた時に、サポーターが「いつもクラブを助けてくれる企業を支えよう」と声をかけ合い、製品を買う運動も起きた。
2004(平成16)年12月に産声をあげ、九州リーグ、JFL、Jリーグと階段を上がってきたロアッソ熊本にとっても、地域に根を張り、J1昇格も3度成し遂げた甲府は目標としてきたチームの一つだ。甲府や今季のJ2を制した新潟など地方クラブの先輩たちをお手本に、「県民に元気を」「子どもたちに夢を」「熊本に活力を」のスローガンを高く掲げてきた。
08年のJリーグ入り以来15年目。数多くの敗戦と悔し涙を越えて、今季ようやく悲願のJ1への挑戦権をつかむことができた。Jリーグチームを熊本につくることを目指した県民運動は、最初の小さな滴から少しずつ水を集めてきた。その過程には債務超過による経営危機、熊本地震や豪雨災害、J3への降格と何度もピンチに見舞われた。そのトンネルをくぐり抜ける苦闘を間近で見た者として、天皇杯での甲府の躍進と、あのおじいちゃんサポーターの姿は胸に迫った。
「モノが売れなくなった」といわれる現代の日本で、「推し活」が注目されている。「推し」の対象は芸能人やアニメキャラだけでなく、さまざまな分野に及ぶ。お金や時間などを「推し」にささげる活動には、スポーツの応援も含まれるだろう。私も異動などでロアッソ担当を外れた時にも試合ごとの中継映像やスタンド観戦を楽しみにし、毎年グッズを買い、オフは加入や移籍の発表に一喜一憂してきた。私が担当だった頃には今季ほど勝てず、悔しい思いをすることが多かったのに、ロアッソのことが気にかかる。えがお健康スタジアムのアクセス問題は別にして、見に行って勝ったから楽しいのではなく、楽しいから見に行くのだ。「推し活」とは愛情をかけるものが身近にあることと定義すれば、世知辛い浮世暮らしも報われるというものだ。私の愛情は満たされることばかりではないが、たまに訪れる歓喜は、たまにであるがゆえに尊くさえ感じる。
あのおじいちゃんを目ざとく見つけたテレビ局が早速、ワイドショーで取りあげていた。「普段は自分のいる所しか知らないけど、甲府があるから、いろんな所に連れて行ってもらった。こっちが感謝だね」。おじいちゃんの言葉には「推し」がある幸せが詰まっていた。(陣立昌之)
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