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さらば細川連立政権 訪れた不協和音 小沢一郎氏をたき付ける2人の事務次官 見切り発車の未明の記者会見 国民福祉税構想は批判浴び撤回 そして… <細川護熙さんのあのころ>

熊本日日新聞 2023年12月30日 05:00
細川護熙首相の退陣会見を立ち止まって見る人たち=1994年4月8日午後3時20分ごろ、熊本市上通アーケード
細川護熙首相の退陣会見を立ち止まって見る人たち=1994年4月8日午後3時20分ごろ、熊本市上通アーケード

(聞き手・宮下和也)

 -1994年1月29日に政治改革4法が成立し、細川内閣は大きな成果を挙げました。しかし、皮肉にもこの頃から、連立政権の不協和音も聞こえ始めます。その象徴が、わずか5日後の2月3日未明の記者会見で発表した国民福祉税構想です。消費税を廃止して、税率7%の国民福祉税を創設する構想は、国民から唐突だと厳しい批判を受け、撤回を余儀なくされました。前々回のこの欄で「あれはまずかった」と振り返った会見に至るまでの事情を。

 細川内閣は税制改革も課題に掲げました。これには財政再建、高齢化社会の福祉財源、バブル崩壊後の景気対策としての大型の所得減税の財源確保などが複雑に絡んでおり、大蔵次官だった斎藤次郎さんと通産次官だった熊野英昭さんが、官邸に何遍も来ていました。来る時は必ず二人でした。二人の考えは要するに、細川政権は人気がある。コメの開放も政治改革もいけそうだということで、この機に厄介なものを片付けちゃおうと、小沢氏(小沢一郎新生党代表幹事)をたき付けてですね。そういう算段が見え隠れしていました。

1994年2月3日付の熊日
1994年2月3日付の熊日
さらば細川連立政権 訪れた不協和音 小沢一郎氏をたき付ける2人の事務次官 見切り発車の未明の記者会見 国民福祉税構想は批判浴び撤回 そして… <細川護熙さんのあのころ>

7%の国民福祉税は「増減税セット論」

 -それが、税率3%の消費税を廃止して、7%の国民福祉税を創設する、事実上の増税構想ですね。細川政権はコメの部分開放や政治改革を実現したものの、予算の越年編成を強いられるなど、政治日程はずれ込んでいきました。2月11日にはクリントン大統領との日米首脳会談が迫っており、総合経済対策として所得減税を表明する方針でした。『内訟録 細川護熙総理大臣日記』によると、斎藤、熊野の両次官が10月9日に具申したのが、財源を赤字国債に頼るのではなく、15カ月後の増税を織り込む「増減税セット論」です。言ってることは間違いではないかもしれませんが、この際だから、といった不純な感じが…。

 そうそう。ほんとにどうしようもないですよ。いきなりそんなこと(増税)をしたら政治的に持たない。内閣がつぶれるぞと言って叱責しました。斎藤さんは大物の次官だったろうけど、細川政権の人気に乗っかって、ごり押ししていけるんじゃないかと、そういう判断だったと思います。

 この話を連立与党に任せておくと、ちょっと危ないなという感じがありました。だけどこっちはもう、政治改革とコメの開放で目いっぱいで、とても税制の話までやっている時間がない。そこで私は、信頼できる人にアドバイスを求めました。宮沢喜一さんと、役所の方からは直前の次官だった尾崎護さん(当時・国民金融公庫総裁)。尾崎さんの立場もあるもんだから、夜、裏口からこっそり公邸の方に来てもらって意見を聞きました。大蔵から来ている秘書官には用心して、尾崎さんを呼ぶ時は大蔵の秘書官がいない時を狙ってやっていました。

 -『内訟録』には田中秀征さんらを交え、宮沢さんと会った記録が93年12月25日にあります。

〈(宮沢)氏曰く、所得減税について「180兆円の赤字が新規国債発行によって10兆円増えたからと言って一体何が問題なのか。日本の資産が外国に移転するわけでなし、現に国債の金利は3%(略)」〉

〈証言・田中秀征氏 表にはあまり現れなかったと思うのですが、細川さんは当時、間接税の税率アップに最大限の抵抗をしていました。宮沢さんも細川さんも私も、景気が順調な回復軌道に乗り、納税者が納得するほど行政経費の節約をやる、そうでなかったら消費税の税率アップは応じるべきではないという考えでした。所得税減税分の増税は、アナウンスすること自体がマイナスだと思っていた。宮沢さんは特にそうで、総理の考えに従わないなら藤井蔵相をクビにしろ、と凄(すご)かった〉(以上『内訟録』日本経済新聞出版社)

 -税率7%という数字を正式に聞かれたのは記者会見の直前ということですが。

 直前でしたね。これは意図的にやったのかどうかは分からない、忙しくて伝わってこなかったのかもしれないけど、7%って話は最後まで上がってこなかったんです。10月9日の時点でも、斎藤さんは5%か6%と言っていた。とにかくいろんなことを言ってました。

 この問題には小沢さんはもちろん前のめりだったんですが、この際、できるだけ7でも8でも10でもってくらいのつもりだったと思いますね。そういう状態にしておくと後が楽だということだったと思います。

 それに対し、市川さん(市川雄一公明党書記長)と私が、大蔵と通産二人の次官に非常に厳しく対応していたわけなんです。その辺は市川さんと全く同じスタンスでした。ほんとに大蔵のおかげで政権つぶれちゃうという危機感を市川さんも持っていました。他の人はあんまり相談しても、相談しがいがないもんだからね。

 だから宮沢さんと尾崎さんの話が一番参考になりました。宮沢さんからは、85年のプラザ合意後の不況の時、赤字国債を発行して減税するために4カ月かかって大蔵省を説得し、景気を回復させて大幅な自然増収があった話を伺いました。尾崎さんからは基礎年金の財源に充てる年金税のアドバイスを受けました。

 藤井さん(藤井裕久蔵相)と私はとても仲が良くて信頼していたんだけど、ちょっと犠牲になってもらって辞めてもらうかというところまで考えました。増税に前のめりの大蔵省にブレーキがかからないもんだから、藤井さんを切ればブレーキになるわけです。

 -藤井蔵相のスタンスは。

 何も言われなかったですね。大蔵大臣だし。大蔵官僚出身でもあるし、やっぱりちょっと動けない立場だったでしょうね。

 -親分の小沢さんは前のめりだし。

 だけどそこで、仮に藤井さんを切るということをしてたらね、今度は政権が崩壊しちゃう、つまり新生党が離れちゃうかもしれないという、そういうジレンマがありました。なかなか難しい判断で、そこまでは踏み切れなかったですね。

 -結局、連立与党内の合意が十分に整わない中、訪米に向けて見切り発車的に行われた未明の会見は世論の猛反発を買います。「腰だめの数字」という首相の〝失言〟も批判を浴びて、国民福祉税構想は撤回せざるを得なくなりました。

 首相在任中、最も悔いの残る出来事でした。あの段階では、日米首脳会談というタイムリミットが決まっていて、もう何ともならなかった。きつい話でした。だけどこの局面で増税を推し進めようとした大蔵省は、本当に政治的センスがゼロだと思いました。恐らく大蔵の中にも「こんなところで悪乗りするんじゃないよ」と思っていた人は随分いたと思います。

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