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英国流ジェントルマン白洲次郎さんの「原則」 みずからのプリンシプルで考え、行動 <細川護熙さんエッセー>
白洲正子さんの「遊鬼」の一節にこんなくだりがあります。
ある禅宗の寺に、門外不出の文書があった。それをどうしても見たいという熱心な学徒がいて、住職はその文書を出して来て下さったが、寺の規則だから、中身を見せることはできない、とかたく断った。
ややあって、その住職が、自分は用事があるから、ちょっと失礼する、どうぞごゆっくり、といって出て行った。いうまでもなく、自分のいない間に見ておけ、という謎だったのである。「それがほんとの禅というものだ」と、次郎はいった。別に禅を理解していたわけではないけれども、直感的に共感するものがあったに違いない。
(略)このお坊さまは、寺の掟は守らなかったが、自分の信じた「原則」には忠実であったのだ。人を利する、済度する、という仏教の原則に。
まことにプリンシプル、プリンシプル、と毎日うるさいことであった。(略)それというのも現代の日本人に、プリンシプルが欠けているのが我慢ならなかったのである。(『白洲正子全集』第12巻)
ここに出てくる「次郎」は、いうまでもなく正子さんの御主人白洲次郎氏のことで、彼は、敗戦直後に吉田茂の片腕として占領軍との折衝に当たった人物です。日本人には珍しい明確な主体性は、残念ながら日本でなく英国で育まれたものですが、十七歳でケンブリッジに入り、それから九年間の滞在中にすっかり英国流ジェントルマンに成長しました。
物を考えるのも英語、寝言もシャットアップ(黙れ)、ゴウアウェイ(あっちへ行け)、ゲットアウト(外へ出ろ)など夢の相手に怒鳴り散らしていたというくらいで、占領軍のホイットニー民政局長からあるとき、「実に英語がお上手ですな」といわれ、「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」と返したというから誠に痛快です。
占領下で日本側の役人たちがみな米軍将官にペコペコしていた時代の事ですから、GHQから本国に向けて、「従順ならざる唯一の日本人」と報告されたというのもうなずけます。
彼は政治や外交については全くの門外漢でした。英国から戻って三つの勤め先に奉職しましたが、東北電力の会長をつとめたといっても、経済や経営の専門家ではありませんでした。しかし、時まさに日本は「満州事変」から「支那事変」へと戦争を拡大して、その見通しの立たない戦をやめることもできないとき。日本はいずれ米英と戦争を起こして敗れると見極め、すべての職を退いて小田急沿線の鶴川に引っ込んでしまいました。そして戦争末期には必ず食糧難になるからとせっせと食糧増産に励んだというのです。
三十八歳での彼の退隠は、しかし東洋的な隠居とは違って、英国流の「カントリー・ジェントルマン」─毎朝新聞を読み、常に中央の政治に目を光らせ、いざ鎌倉というときには中央に出ていって、彼らの姿勢を正す-のそれでした。
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