最年少の参院議員となり泰勝寺跡で結婚式 国対通じて結んだ〝ハマコー〟との縁 あいさつ回りでクラブの集金と間違われた夫人 そして知事選に名乗り… <細川護熙さんのあのころ>

(聞き手・宮下和也)
-1971年6月の参院選で、全国区から自民党公認で初当選。当時33歳で、最年少議員でした。その頃になるとお父さん(護貞氏)との関係も若干改善された?
いやあんまり緩んでなかったですね。許されたのはいつごろだったかなあ。水前寺公園を管理している方がいて、もういい年の方でしたけれども、父の熊本事務所長的な仕事もされてました。水前寺公園の近くに家があって、父が熊本に来た時は秘書的なこともやり、東京にも出てきて熊本の様子などを報告していたんです。この人なんかも一生懸命私のことを心配して、お父上にはもうちょっとこう言った方がいいんじゃないかとか、この間、父上が来られてこういう心配をしていました、お金はどうするんだと心配していたとか、松井家(旧八代城主家)のみなさんも心配していた…とか。
しかし参院議員に当選した頃には熊本の家には入れてもらえたのかな。というのは、泰勝寺のご祠堂(ごしどう)の前で結婚式のようなことをやりましたからね。その頃には入れてもらってたんじゃないかと思います。
佳代子夫人は大学ゴルフ部の後輩 ローマの街で劇的に再会
-上智大のゴルフ部の後輩である佳代子さんと参院議員当選後に結婚式を挙げました。結婚までのいきさつは日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と、細川佳代子著『花も花なれ、人も人なれ』(角川書店)に詳しく書かれており、かいつまんでおさらいします。細川さんは初めて政界に打って出た69年の衆院選に敗れた後、雑誌社から海外取材の話が持ち込まれ、東南アジアから中東、欧州へ旅立ちました。一方、佳代子さんは大学卒業後、日本で当時ほとんどいなかった女性の海外駐在員として、ヨーロッパを飛び回っていた。70年の夏、二人はローマで劇的に再会します。
〈大使館に着くと、細川らしき人が角に立っている。「あら?」と思った。(中略)私は大使館で細川の滞在しているホテルを聞いて、いたずらを思い付いた〉(『花も花なれ-』から)
-佳代子さんは声色を使って電話で細川さんをホテルのロビーに呼び出しました。佳代子さんを見た細川さんは「腰が抜けるほどびっくりした」そうですね。
突然、ローマの街の中のホテルに訪ねてきたんです。(電話で呼び出された時は)私も変な女が来るんじゃないかと思ってね。驚きました。
-結婚式は71年9月。熊本市黒髪の泰勝寺跡地の「ご祠堂」と呼ばれるご先祖をまつるほこらの前で。
〈細川は普通の背広だったし、私は白のスーツにレースの帽子をかぶり、白の手袋、白のブーケ姿だった。すべて親戚のデザイナーの手作りだった〉(前掲書)
-式は二人だけで、両家が祝うようなものではなかったそうですね。
祖父が亡くなった後だったんでね(護立氏が70年11月に死去)。周囲の人たちはみんな、それどころじゃない、まずいだろう、祝い事など先に延ばせとか言われて。だけども耳を傾けないどころか、逆に12月14日の赤穂浪士の討ち入りの日を選んで、東京の居酒屋で婚約をしたりして。指輪も2万円渡して佳代子に自分で探してこいって言ったんです。
彼女は「細川と結婚したことが最大のボランティアだ」って。それに書いている通りです。
-参院選の2期目は熊本地方区から。これはまた理由がある?
やっぱり全国区はたいへんだから。自信もないし、全国を回るだけでもえらいことですからね。コストもたいへんだし、残酷区ですね。土木業界や農業、福祉団体などの支援を受けているとか、そういう支援がないと難しいですね。
-全国区は残酷区、銭酷区ともいわれました。77年7月の参院選熊本地方区には、細川さんを含めて4人が立候補。事実上の三つどもえの激戦になりました。このころにはだいぶ知名度も上がってきました。
そうですね。全国区をやっている間に、熊本の隅々までかなり歩きましたから。これまたしかし、農政連が農林次官だった三善信二さんを推しました。三善さんの兄でリコー社長になった(当時専務)三善信一さんも来て、県議会もほとんどそちらでした。社会党からは森中守義さんでしたから、これはたいへんな選挙でした。
-細川たかしさんの親戚と思われたりしたのはこの時の選挙ですね。1男2女の母となっていた佳代子さんも、およそ1年4カ月間、1日百軒を目標にあいさつ回りをしたと著書にあります。
〈ある大手の会社の熊本営業所に挨拶にでかけたとき、そこの営業所長から顔をみるなり、「支払いは月末でいいですか」と言われたこともあった。(中略)当時新市街にあった「クラブ細川」から集金にきたと思われたのだ〉(前掲書)
浜田幸一元衆院議員と国会内で歩いた大っぴらに言えない話
-熊本地方区の選挙結果はトップが自民新人の三善さん、2位当選の細川さんは28万3000票余りで、次点森中さんとの差はわずか1万1000票余りでした。さて、2期務めた参院時代にも面白い話があるそうですね。
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熊本市出身。早回しの歌に乗せた形態模写やデフォルメの効いた顔まねでデビューして45年。声帯模写も身に付けてコンサートや座長公演、ドラマなど活躍の場は限りなく、「五木ロボ」といった唯一無二の芸を世に送り続ける“ものまね界のレジェンド”です。その芸の奥義と半生を「ものまね道」と題して語ります。