政治家志望し家から勘当 まるで「梁山泊」の面々と熊本へ 田中角栄氏「3万軒訪問しろ」 どぶ板選挙 どちらの細川さん? <細川護熙さんのあのころ>

(聞き手・宮下和也)
-政治家になることに、父親の護貞さんは反対されたとか。
そうですね、政治の世界に行くなんてとんでもないと。でも、自分もかつて(熊本の)知事選に出たいなんて言ってたこともあるんですよ。もちろん戦後の話。みんなから止められてね。祖父なんか「ばかな奴だ」と言ってましたよ。十條製紙の監査役とかいろいろしてたのに、「政治に出たい」って。
周囲から「知事に出たらどうか」って、だいぶおだてられたんでしょう。結局、やめましたけど。
-おじいさんの護立さんは細川さんにも何か言われましたか。
私には直接何も言いませんでしたね。祖父は昭和45(1970)年に亡くなってますからね。私は46年に初当選してるわけですから。
だけど家からは勘当でしたからね。本当に勘当されましたよ。父は自分も戦前は政治の世界にいて、嫌な世界だ、大変な世界だと思い知っていたからでしょう。
「まずい焼き鳥と水っぽい酒」の店で意気投合
-昭和43(1968)年に朝日新聞社を退社。初の政界挑戦は翌44年12月の衆院総選挙でした。中選挙区制の熊本1区から立候補しますが、落選します。
勘当中の私は熊本の家にも入れてもらえなかった。退職金なんてほんとにわずかなものですからね。坪井か南坪井の安宿を転々としながら、ずーっと選挙運動をやってたんですよ。東京から、関上(伸彦)と八塚(南海夫)という二人、早稲田の学生だったけどついてきてくれてね。2カ月くらいそれでやってたかな?
そうしたら、たまたま町で知り合ったお医者さんが、河野龍巳先生っていうんだけど。その先生が、うちの看護婦さんの寮に入れてやるって言っていただいて。それで3人で転がり込んで。河野先生はずーっと最後まで後援会長でした。
-関上さん、八塚さんたちとの出会いは。
私が新聞記者の頃に、警視庁で下町担当だったんですね。第6方面というあたり。で、夜中の1時とか2時とかに、夜回りが終わって、早稲田の一杯飲み屋によく立ち寄ったわけですよ。その飲み屋の名前がね、「まずい焼き鳥と水っぽい酒」というのれんがかかった店でね。そこに八塚や関上、それに後から秘書軍団に加わった半田(善三)や深山(正敏)などが、みんなそこにいたわけです。早稲田の精神昂揚会というグループでした。
その連中が私と意気投合して、「熊本に付いていきます」と言うんで、おんぼろな車に乗っかって、東海道をずーっと、3人で行ったわけですわ。そうしたら途中で、エンジンが燃えちゃってね。車はもう使い物にならんようになったんですけど。それ以来の関係が今でも。
関上はこないだ亡くなりましたけど(2018年10月)、八塚はまだ健在です。口は達者でよく電話してきます。そういうつながりですから。まだ半田も元気でいるし、新潟や長崎から県会議員に出た連中もいたし、いろいろそういうやつがいるんですよ。
-何だか「プレ日本新党」みたいですね。こっちは今も解党していない。
そうそう。それは解党してない。まさに梁山泊(りょうざんぱく)。関上なんて早稲田に8年いて追い出されたんですからね。もうこれ以上来てもらっちゃ困ると。
ほんとにね、下町の夜回りして、帰りに水っぽい酒で、明け方まで悲憤慷慨(こうがい)して天下国家を論じてましたよ。
角さんはいつも財布から20万円
-選挙前にはいろんな方に相談されたのですか。
「私の履歴書」(日本経済新聞)にも書きましたが、衆院選に出るに当たり、吉田茂さんから名刺をもらい、まず佐藤栄作首相にお会いしました。佐藤さんから「(ベテラン議員の多い)熊本は割り込むのが難しい。その顔触れだと、力を貸してくれそうなのは角栄君くらいだろうな」と言われた。田中角栄さんは当時、自民党幹事長でした。
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熊本市出身。早回しの歌に乗せた形態模写やデフォルメの効いた顔まねでデビューして45年。声帯模写も身に付けてコンサートや座長公演、ドラマなど活躍の場は限りなく、「五木ロボ」といった唯一無二の芸を世に送り続ける“ものまね界のレジェンド”です。その芸の奥義と半生を「ものまね道」と題して語ります。