高齢者14人が犠牲 老人ホームで何が起こった? 熊本豪雨、関係者の証言

熊本日日新聞 | 2021年01月11日 13:19

 2020年7月の熊本豪雨による河川の氾濫は球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」を襲い、80~99歳の入所者14人の命を奪った。7月3日から4日にかけ、園内で何が起きたのか。「2020熊本豪雨 川と共に」第3部「犠牲-千寿園の“悲劇”」は、当時園内にいた職員や地域住民の証言でたどり、教訓を探る。(隅川俊彦、小山智史、中島忠道、嶋田昇平、小多崇)
※2020年10月、熊日朝刊に掲載した連載「熊本豪雨 川と共に」第3部「犠牲 千寿園の〝悲劇〟」全7回の記事をまとめました。記事中の情報は掲載時点、文中敬称略

 車いす抱え懸命に2階へ ガラス割れ濁流が…

「ドーンッ」。7月4日午前7時、冷たい濁流が1階のドアを押し開け、渡り廊下のガラスを破って一気に建物内に流れ込んだ。球磨村渡で、社会福祉法人「慈愛会」が運営する村唯一の特別養護老人ホーム「千寿園」。80代、90代のお年寄りたちが穏やかに暮らしていたついのすみかで生死を分ける“悲劇”が始まった。

 この5時間前、激しい雨が施設の屋根をたたきつけていた。「寝たきりの人も多い。車いすに乗せて、すぐ避難できるようにしましょう」。夜勤の職員が園内の宿直室を訪ね、宿直のアルバイトをしていた元消防士の男性(61)に告げた。

2020年7月4日、浸水した特別養護老人ホーム「千寿園」(中央手前)=球磨村
水が引いた2020年8月4日の千寿園。奥が球磨川、園の左下を流れるのが支流の「小川」

 男性によると、3日夜から降り続く雨は弱まる気配がなく、園内は断続的に停電。照明が点滅を繰り返す中、それぞれの居室で寝ていた入所者らを起こして車いすに乗せ、南側の別棟の1階フロアに移動させた。北西側には裏山があり、土砂崩れを警戒したからだ。

 園内には入所者ら65人と男性のほか、夜勤の職員4人がいた。裏山の手前に「慈愛会」の小川美智子理事長の自宅を改修した小規模多機能型居宅介護事業所があり、土砂災害を警戒して3日夕には、施設利用者5人と小川理事長も園に身を寄せていた。

 午前4時ごろ、元消防士の男性は周辺を巡回。園東側の球磨川支流の「小川」が増水し、堤防を越えるまであと2メートルほどに迫っていた。巡回中、後藤竜一副施設長から電話が入っていたため折り返すと、この時は「『様子を見ましょう』という返事だった」。

 2時間後、後藤副施設長の電話の声は緊迫していた。「道路が冠水して、園に行き着かない」。同じころ、避難していた南側別棟前の駐車場が泥水に漬かりだしていた。

 駆け付けた近所の住民と職員たちが協力して入所者らを北側の棟に戻し、その2階へ移し始めた。ただ、2階はヘルパーステーションと家族宿泊室の2部屋で、わずか計約130平方メートル。エレベーターはなく、幅1・2メートルの22段の階段を上り下りするしかなかった。

 寝たきりの入所者を乗せた車いすは重く、「3人掛かりで抱えてやっとだった」と男性は振り返る。建物内にも少しずつ水が流れ込む中、2階に約50人を運び上げ、ほぼ人と車いすでいっぱいになった時だった。

 ガラスが割れる音と同時に濁流が流れ込み、水位はみるみる腰付近まで上がった。男性は、冷たい泥水に漬かりながら数人を運んだ。だが、これ以上は流れが強く断念せざるを得なかった。1階には入所者ら17人と地域住民数人が取り残された。

駆け付けた地域住民 みるみる浸水「足がつかない」

 「ガラスが割れ、津波のような水が一気に押し寄せ、壁まで押し流された」。球磨村渡の特別養護老人ホーム「千寿園」に近い高台に住む球磨村議の小川俊治さん(72)は7月4日午前6時半ごろ、入所者らの救助のために園に駆け付けた。

 小川さんは園周辺の地域住民でつくるボランティア「避難支援協力者」のリーダー。午前1時半ごろ、強い雨音が心配になって地域を見回り、千寿園の裏山から水が流れ出しているのを確認した。土砂崩れを懸念した小川さんは、夜勤の職員らに裏山と反対の南側の別棟へ入所者を避難させるよう進言。「あの時は園が浸水するなど予想もつかなかった」

 いったん家に戻ったが、スマートフォンで雨雲の動きを確認すると、線状降水帯が球磨川流域を覆い続けた。村の防災行政無線も球磨川の水位上昇と避難を呼び掛け、「ほとんど眠れなかった」。午前5時半に家を出て、周辺住民に高台への避難を促し、6時半ごろ再び千寿園に。

 施設内は入所者を2階に上げる垂直避難の真っただ中。小川さんも避難を手伝い、浸水が始まっていた1階で待っていた車いすの入所者が水にぬれないよう、北側の棟の食堂にテーブルで“島”を作り、その上に車いすごと担ぎ上げた。認知症などを患う入所者が冷たい水にぬれることで、パニックになるのを防ぐためだった。

 その作業中に水が一気に押し寄せ、小川さんらに襲い掛かった。「胸、首とみるみる水が上がり、すぐに足がつかなくなった」。近くに浮かんでいた入所者の女性を片手で担ぎ、もう片方の手で浮かんでいたソファなどをつかんだ。

 天井近くまで浸水した1階に、2階から飛び込んで入所者を助けようとした近所の消防団の男性に、「あなたまで死んでしまう」と周囲が必死で止める場面もあった。

 小川さんは「どのくらい浮かんでいたか分からない。2~3時間だろうか。冷たい水の中で時間がたつのをとても長く感じた」。

 「助けが来る。頑張ろう」。浮いて救助を待つ数人が互いに声を掛け合った。水を吸ったソファがだんだん沈み始める。「死ぬかもしれない…」。半ば諦めかけた時、2階から屋上に出た職員や宿直アルバイトの元消防士の男性(61)が電気コードやカーテンを結んで作ったロープを投げ入れてくれた。それにつかまり屋上にはい上がったが、既に数人の背中が浮いていた。

浸水直後の千寿園1階部分。施設内の備品などが大量の泥水に浮かんでいる=2020年7月4日午前、球磨村渡(宿直アルバイトの男性提供)

 千寿園と村の記録によると、高齢者70人のうち、14人が自衛隊到着後に心肺停止で発見され、1人が低体温症のためヘリで病院に搬送された。残る55人は村総合運動公園に避難。職員や小川さんら駆け付けた地域住民を含め全員が救出されたのは午後10時すぎ。周囲は真っ暗になっていた。

 小川さんは、亡くなった入所者の冥福を祈りつつ振り返る。「救助に入った人が亡くならなかったのは奇跡だった」

村職員も救助活動 入所する母、帰らぬ人に…

 9月26日、球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」の前に、防災服に身を包んだ小此木八郎防災担当相と蒲島郁夫知事の姿があった。

 献花と黙とうの後、球磨村住民福祉課長の大岩正明さん(51)がマイクを手に、時折声を詰まらせながら、被災当時の状況を説明した。千寿園を濁流が襲った7月4日朝、大岩さんも入所者の救助に当たった一人だった。

 大岩さんの母ユウコさん(83)も千寿園で暮らしていたが、帰らぬ人となった。「今でも当時を冷静に振り返れない。思い出そうとすると冷たい水の感覚がよみがえる」

小此木八郎防災担当相(右手前)に千寿園が被災した当時の状況を説明をする球磨村の大岩正明課長(左から2人目)=2020年9月26日、球磨村

 大岩さんは4日午前4時ごろ、家族4人を高台に避難させた後、近所の住民から「千寿園の入所者を避難させる人手が足りない」と聞いて駆け付けた。

 北側の棟で入所者の2階への垂直避難を手伝っている時、1階の食堂で車いすに座っているユウコさんが見えた。足元に浸水が始まっていた。ユウコさんらを水にぬらさないようテーブルで作った“島”の上に抱え上げた。その場を離れて間もなく、濁流が流れ込んだ。

 浸水のスピードは早く、すぐに足がつかなくなった。大岩さんは近くにいた入所者の女性を片手で担ぎ、浮かんでいたたんすにつかまって救助を待った。園内の浸水は高さ3メートルを超え、母の姿は見えなくなっていた。

 自分の死も覚悟しながら「無事でいて」と母を案じた。屋上から差し伸べられたはしごで難を逃れ、水が引くのを待った。

 水が引いた後、大量の土砂に覆われた1階に下りると、ユウコさんがぬれたソファの上に寝かされていた。「眠っているようだった」と大岩さん。

 ユウコさんを含め、1階に取り残されて心肺停止となった高齢者14人は車いすに乗せられ、搬送を待った。

 「きつかったね」「ごめんなさい」。大岩さんは、千寿園の若い男性職員がペットボトルの水をきれいなタオルに含ませ、ユウコさんの顔の泥を洗い流してくれる姿を眺めていた。「『ごめんなさい』という声が聞こえて涙が止まらなかった。家族のように接してくれた園の職員には感謝している」

 大岩さんは3人兄弟の次男。県外の専門学校を卒業した後、東京の老人ホームで働いていた。28年前、ユウコさんから村役場への就職を薦められ、Uターンして古里に戻った。

 ユウコさんは、千寿園がある渡地区と同様、甚大な被害が出た神瀬[こうのせ]地区で商店を営んでいた。生前、「田舎暮らしはみんなの助け合いがあってこそ」と、いつも口にしていたという。

 大岩さんは7月9日にユウコさんの火葬だけを済ませると、葬儀は後回しにして翌10日から村民の生活再建に奔走した。葬儀を終えたのは、お盆の8月15日だった。

 「母が残してくれた命。村の復旧復興のために自分ができることを精いっぱいやりたい」。大岩さんは葬儀でそう誓った。

土砂災害を警戒、千年に1度の雨「想定せず」

 「千寿園の幹部らは、北西側にある(裏山の)斜面の土砂崩れを警戒して、あれほどの高さの浸水は想定していなかったはずだ」

 7月4日の被災当時、球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」で3日夜から宿直のアルバイトをしていた元消防士の男性(61)はこう証言する。

 水防法は2015年と17年の改正で「1000年に1度」の豪雨で浸水の危険がある区域の高齢者施設などに、最大浸水を想定した避難計画の策定を義務付けた。

浸水から2日後の千寿園の内部。壁面には約3メートルの高さに濁流とみられる跡があった=2020年7月6日、球磨村渡(坂本明彦)

 国土交通省は17年、1000年に1度に相当する豪雨を人吉市より上流で12時間総雨量502ミリと設定。その場合、千寿園周辺は「10メートル以上20メートル未満」浸水すると想定された。村も想定を認識し、ハザードマップに反映させようとしていた矢先に悲劇は起きた。

 千寿園が18年4月に作成し、村に提出した避難計画は「土砂災害に関する避難確保計画」のみ。この計画の中には一部、河川の氾濫を想定した文言もある。ただ、千寿園の代理人、中嶽修平弁護士(39)は「水防法が定める最大の浸水を想定していたとは言えない」と認める。

 一方、中嶽弁護士は「10~20メートルの浸水は、村全体が浸水するような想定。それに即した避難計画の策定と訓練は現実的には難しい」と園側の立場を代弁。村から策定に関する指示などは「なかった」とした。

 避難計画は、屋内の避難場所に施設2階部分を指定。屋外の第1避難場所には施設南側の職員駐車場、第2はほぼ隣接する渡小運動場および体育館、第3は村内でも高台にあり、直線で約1・5キロ離れた村総合運動公園内の多目的交流施設「さくらドーム」としていた。この三つの屋外避難場所のうち、浸水を免れたのはさくらドームだけだった。

 村は河川の氾濫などを見越し、従来の発令基準に満たない段階の7月3日午後5時に避難準備・高齢者等避難開始を発令した。午後10時20分には避難勧告、4日午前3時半に避難指示。気象庁が「ただちに命を守る行動が必要」とする大雨特別警報の発表は同日午前4時50分だった。

 3日午後7時以降に園内にいた職員は当直と夜勤の職員合わせて5人。当直をしていた元消防士の男性は「認知症や寝たきりの入所者をあの激しい雨が降る夜間に車いすに乗せて、さくらドームまで避難させるのは危険だった。車両を使うにしても、マンパワーはとても足りなかった」と証言する。

 近所に住む球磨村議の小川俊治さん(72)は4日午前6時半ごろ、千寿園に駆け付け、泥水に溺れそうになりながら入所者の救助に当たった。千寿園が年2回開く避難訓練にもボランティアとして参加していた。

 「職員も、私たち地域の住民も訓練通り、必死に2階への垂直避難を試みた。どうすれば14人の命を救えたのか…。私には、いまだに分からない」

職員、集合できず 避難計画、浸水で機能不全

 球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」の避難計画は、避難準備・高齢者等避難開始が発令された時、「避難等を開始する」と明記している。夜間や休日の警報発表で園に駆け付ける職員12人も指定。さらに避難勧告・指示が出た場合は「施設全体の避難誘導」にレベルを上げて、対応要員を約90人の全職員と定めていた。

 ただ、実際には、そうならなかった。豪雨に見舞われた7月3日夜から4日朝まで、後藤亜樹施設長を頂点とする職員の連絡網は機能しなかった。球磨村が避難勧告を発令した3日午後10時20分以降も、職員が計画通り千寿園に集まることはできなかった。避難を指揮すべき後藤施設長、後藤竜一副施設長らもたどり着かなかった。

 村は、千寿園への浸水を最大床上約3・1メートルに達したと推定している。当時、当直のアルバイトで施設内に泊まっていた元消防士の男性(61)は、入所者を2階に垂直避難させた一人。「早い段階で職員を集められていれば、入所者全員の避難が間に合ったかもしれない」と悔やむ。

 千寿園の入所者らをボートで救出した近くのラフティング運営事業者「ランドアース」の職員、久保田立爾さん(38)は、4日早朝の千寿園周辺の浸水状況について「6時ごろには球磨川の水があふれ、国道219号が冠水して車では通れなくなっていた」と話す。

 その後、支流の小川から球磨川に流れ込めなくなった水が、園南側の国道219号やJR肥薩線の線路上を球磨川本流と逆方向に流れる様子も目撃した。

 専門家は、球磨川の水位上昇で「バックウォーター現象」が発生した可能性を指摘。千寿園は周辺から孤立した状態になっていたとみられる。

被災から3カ月が経過し、正面には立入禁止のテープが張られた千寿園=2020年10月4日、球磨村渡(小野宏明)

 入所していた母、日當タツエさん(82)を亡くした兵庫県明石市に住む次女の境目美奈子さん(54)は9月26日、後藤施設長らの訪問と謝罪を受けた。診察券や預かり金の残りなどは受け取ったが、母が愛用した帽子や衣類は返ってこなかった。

 境目さんによると、園側は被災状況を説明する中で「計画に沿って避難した」と話した。「水害への危機感はなかったのか。他の職員を呼ぶことができたのでは」と尋ねると、「感じるものはあった。ただ、職員みんなが被災し、施設に来てもらうことができなかった。施設内が一番安全な場所だった」と説明したという。

 境目さんは「千寿園の職員に非常に良くしてもらった」と感謝する一方、園側の対応に「当時を検証しようという姿勢が感じられなかった」と残念がる。

 2016年8月の台風10号の豪雨による浸水では、岩手県岩泉町の高齢者施設「楽ん楽ん」の入所者9人が死亡。境目さんは、ほかにも高齢者が犠牲になった災害に触れ、「千寿園でも14人が亡くなった。この事実を、高齢者が早め早めの避難をするための教訓にしてほしい」と願う。

 「検証が不十分なままでは、諦めがつかない」と言葉に力を込めた。

認知症は移動がリスク 地域、行政の支援強化を

 10月7日、東京・霞が関の国土交通省1階会議室。高齢者福祉や防災、建築などを専門とする学識者が集った。同省と厚生労働省が球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」で14人が亡くなった事態を受けて設置した「高齢者福祉施設の避難確保に関する検討会」。高齢者施設の避難の改善策を2020年度内に取りまとめることを目標にする。

 座長に選任された跡見学園女子大の鍵屋一教授(福祉防災)は、冒頭のあいさつで「認知症の人たちは移動そのものがリスク。知らない場所では不安定になったり徘徊[はいかい]したりする。避難そのものの困難さを理解しなければ(議論は)実効性のないものになる」と強調した。

高齢者の迅速な避難方法を議論する検討会の初会合=2020年10月7日、国土交通省

 両省は、千寿園の避難計画や対応などを調査。把握した情報をA4判68ページの資料にまとめて委員に示した。その中で、主な問題点として、避難計画が水防法の定める最大規模の浸水を想定していなかったことや、屋外避難先の設定が非現実的で屋外避難の訓練も実施していなかったことを挙げた。2階への垂直避難に時間を要したことも指摘した。

 委員からは「被災当時入所者らは70人おり、2階の垂直避難には限界があった」「予想よりもはるかに多い雨が降り、職員に避難の判断は難しかった」などの意見が出た。

 委員の一人、兵庫県立大大学院減災復興政策研究科の阪本真由美教授は、避難行動の分析に取り組んできた。18年の西日本豪雨では、死者51人が出て、その約8割が70歳以上の高齢者だった岡山県倉敷市の真備町地区などで住民にアンケートをした。

 阪本教授は千寿園の事例を「結果論だが、(浸水の前日)7月3日午後10時20分に発令された避難勧告の段階で行政や消防に避難の判断などを相談し、園側が職員を集める判断ができていれば被害は防げた可能性がある」と指摘する。

 台風や豪雨で高齢者施設が被災し、入居者らが犠牲になる例は千寿園のほかにもある。09年の豪雨では、山口県防府市「ライフケア高砂」の7人が土石流で犠牲になった。16年の台風10号による河川の氾濫では、岩手県岩泉町のグループホーム「楽[ら]ん楽[ら]ん」で9人が亡くなった。

 阪本教授は高齢者施設の避難の実効性を高めるために「職員だけで避難の判断や実際に避難を完結することは不可能だ。地域や行政が助ける仕組みの強化が求められている」と強調する。

 山間部には安全な平地が少なく、千寿園のように災害の危険性が排除できない場所に高齢者施設が立地しているケースは多い。

 阪本教授は「十分な垂直避難場所を確保するための施設の改修などをさらに国が後押しする必要がある。実効性のある避難計画づくりを施設だけに任せず、行政がサポートしていくことも重要だ」と力を込めた。

現地での再開断念 村の福祉拠点が機能停止

 「千寿園の20周年祝いで出たアユがおいしかったんです」。球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」でデイサービス(通所介護)を利用していた野々原キミエさん(89)は、豪雨被災直前の6月の昼食時に出た「ごちそう」を今も思い出す。

 千寿園の開設は2000年6月。それまで老人ホームがなかった球磨村にとって待望の施設だった。村が建設地を購入・造成し、社会福祉法人「慈愛会」に無償貸与。同年4月には介護保険制度がスタートし、ホームヘルプ(居宅介護支援)やショートステイ(短期入所)もある千寿園は、在宅から入所まで一貫して介護サービスを提供できる村唯一の役割を果たしてきた。

 野々原さんも同居の息子夫婦が不在の際、「ショートステイが使えたので助かった」。デイサービスには7年近く通い、不自由だった足は機能訓練のかいもあって「部屋ではつえがなくても歩けるようになった」。千寿園は、生活にメリハリを与えてくれる場所だったという。

 しかし、豪雨で神瀬地区の福祉センター「たかおと」も機能が停止するなど、村の高齢者を取り巻く環境は一変。千寿園の被災で入所施設は皆無となり、ホームヘルプやデイサービスも、提供元は一勝地地区の高齢者生活福祉センター「せせらぎ」だけになってしまった。

豪雨災害後、球磨村で唯一となったデイサービスセンター=2020年10月7日、球磨村一勝地の高齢者生活福祉センター「せせらぎ」

 せせらぎのデイサービス利用者は現在47人。うち17人は元々、千寿園とたかおとの利用者で野々原さんもその一人。ただ、落橋などが相次いだ道路は十分に復旧しておらず、ホームヘルプも含めて送迎や移動に制約を受けている。

 せせらぎを運営する村社会福祉協議会は、災害ボランティアセンターの対応も継続中。10月下旬からは「地域支え合いセンター」も運営し、被災者の見守り活動も担わなければならない。「今後もさまざまな要望が出てくる」と村社協の板崎雄治事務局長(61)。マンパワーの確保や態勢強化は大きな課題だ。村の高齢化率は9月末時点で45・0%。県平均の31・1%を大きく上回っている。

 全国の自治体は20年度、3年ごとに更新する介護保険事業計画(21~23年度分)を策定中で、村も実態に見合った新計画を立案しなければならなかった。しかし「人口の流出もあり、要介護認定者の把握も難しく、介護事業の担い手も定まらない」と村住民福祉課は頭を抱える。特に入所サービスは被災後、村外施設にショートステイで対応してもらうなど綱渡りが続いているのが現状だ。

 千寿園を運営してきた慈愛会は、現地での事業再開を断念。松谷浩一村長は「千寿園がなくなり、高齢者福祉の政策を見通せる状況にない。社協だけで高齢者を支えるのは不可能」と言い切る。

 村が代替地を用意することも念頭に「村の福祉の実情をよく分かっている慈愛会とよく話し合いたい」と松谷村長。高齢者が5割に迫る人口3400人の山村は厳しい現実に直面している。

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