なつくさや つわものどもが… 義経、アキレス、関羽 歴史彩る悲劇の英雄たち <最終回・細川護熙さんエッセー>
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夏艸[なつくさ]や兵共[つわものども]が夢の跡
芭蕉が『おくのほそ道』に書き留めたこの句は、数ある俳句のなかでも、もっとも知られているもののひとつでしょう。史跡を訪れ、古城を見るたびにこの句を想い浮かべる人は多いと思います。奥州平泉に至った芭蕉が記した情景は次のようなものでした。
三代の栄耀[えよう]一睡の中[うち]にして、大門の跡は一里こなたに有[あり]。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。先高館[まずたかだち]にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入[おちいる]。康(泰)衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさしかため、夷[えぞ]をふせぐとみえたり。偖[さて]も義臣すぐつて此城に籠[こも]り、功名一時の草村となる。
三代とあるのはいわゆる奥州藤原氏で、清衡、基衡、秀衡のことです。近年、発掘・復元されて注目されている毛越寺[もうつうじ]の庭園を造ったのは基衡とされていますが、平泉一帯の史跡は極楽浄土を希求した東北のつわものの夢の跡で、毛越寺庭園もそのひとつです。よく知られるように、秀衡は零落の源義経主従を庇護[ひご]しましたが、秀衡を継いだ泰衡は源頼朝の追及にあって、義経の追捕に協力する羽目に。しかし、その報酬は藤原氏の滅亡でしかありませんでした。頼朝による義経と藤原氏への厳しい処断は、現実の政治と権力のもつ過酷な一面を物語るものですが、その後の歴史はかならずしも勝者の味方ではありませんでした。わたしは、そこに人びとの心のひだを感じないではいられません。
鎌倉の追及を受けた義経主従は四国に渡ろうとして果たせず、一時、吉野、奈良方面に姿を隠します。そのとき愛妻の静は義経と別れますが、従者に裏切られ、山中を彷徨[ほうこう]しているところを保護されて鎌倉に移されます。そして美貌と舞で知られた静は、仇[かたき]である頼朝、政子夫妻の前で、その芸を披露するよう強く所望されます。ついに固辞することができず、鶴岡八幡宮に献じて踊りながら吟じたのが「しづやしづ しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな」です。「しづ」は倭文[しづ]で、文様のある織物、「をだまき」は苧環[おだまき]で、玉状に麻糸を巻いたものですが、古歌に自らの名前と運命をかけたこの歌は、政子以下、聞く人びとを深く感動させ、涙を誘ったといわれています。
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熊本市出身。早回しの歌に乗せた形態模写やデフォルメの効いた顔まねでデビューして45年。声帯模写も身に付けてコンサートや座長公演、ドラマなど活躍の場は限りなく、「五木ロボ」といった唯一無二の芸を世に送り続ける“ものまね界のレジェンド”です。その芸の奥義と半生を「ものまね道」と題して語ります。