祖父・護立さんと父・護貞さんの関係性は? 本当に質素だった財界の総理 土光敏夫さん 強い影響を受けた白洲次郎、正子夫妻 日本の若者よ、日本語と武士道を学べ 妻 佳代子さんと「最後の旅行」<最終回・細川護熙さんのあのころ>
(聞き手・宮下和也)
-去年、細川三斎(忠興)さんの詳しい伝記が出版されました。やはり戦国時代を生き抜いてきただけあって、かなり気性の激しい人だった。息子の忠利さんは随分苦労があったようで。
忠利さんはずいぶん忠興さんをいさめたりしていますね。幕府の命令で、塀を改修したり石を積んだりしてはいかんとか、堀をいじったらいかんとか、いろいろ制約があるわけだけど、忠興はそれをやろうとして忠利からいさめられ、なんだそんなことまでできないのかと。
-「おれを誰だと思っているんだ」と。それだけの履歴のある方ですから。
そりゃそうですけどね、やっぱりかなり荒っぽいところがあったようですね。
-忠利さんとともに、ずっと家老として仕えた松井興長さんも。
これは立派な人ですね。私は忠興さんはちょっとつきあいにくいと思うけど。
-一方で千利休の。
そう、お弟子で。それはそうですけどね、あんまり茶人というイメージではないですね。武将の方のイメージが強い。やっぱり幽斎さんや忠利さん、重賢さんっていうと、文武のイメージがある人たちだったなと思いますけど。
「殿様」と言われた祖父・護立さん
-細川家歴代の方々、個性的な方が多いですね。
(細川家16代当主で祖父の)護立さんなんかでも、先代の人が亡くなったりとかいろいろなことがあってね。本当はなるはずの人じゃなかったんだろうけど。護立さんのところに私はしばらくいましたから。まあ、「殿様」という呼称が一番ふさわしい人でしたね。それを自分も当然のこととして受け止めていたようなところがありました。
護立さんのことを「殿様」と呼び始めたのは宮さま方だったんですよ。戦前には秩父宮、高松宮両殿下を、赤倉の別荘(新潟県妙高市)に何回かお招きしたことがあったようです。その折に両殿下がくしくも「殿様」と言われて、それからみんなが言うようになった。
-宮さまから見ても「殿様」。
ほんとにトノサマ然としていました。父(護貞氏)は祖父を見ていて、〈たいへん感覚の優れた人だったけれども、理論の人ではなかった〉と評しています。美術の鑑賞に関してはたいへん素晴らしいものを持っていたが、父の方とは政治、学問、経済問題などで必ずしも一致しなかった。ただ、こと美術品の嗜好(しこう)に関してはほとんど一致していたと。ちょうど、忠興と忠利の関係を思い浮かべてもらいたいと書き残しています。
-ちょっと自由奔放な父親と、謹厳実直な息子といった…。
祖父はとにかく美術分野においては広範な守備範囲を持っていて、ただ比較的関心が薄かったのは、いわゆる民芸の分野だったそうです。書については若い頃から達者で、一時は禅僧ふうの書をものしていましたし、晩年は中国・宋時代の、宋人の書を習っていた。私も見ていましたが、夕食が終わって30分くらいは必ず習字をやっていました。お手伝いさんに「おい硯(すずり)と文」と言って、書いていましたからね。それは私もほんとに見習わなきゃいかんなと思っています。
絵も少しは描きましたけれども、それはわずかで、禅画みたいなものです。書は、なかなか禅僧的な軸などが残っています。色紙みたいなものに書いているものの多くは禅の言葉ですね。例えば「絶学無憂」。なまじ学問なんかしなければ憂いもない。変なものを読んだりして勉強するから憂いが出てくる。いい言葉だと思います。
-理屈を言いすぎるなと。
そういうところは多分にありました。父は理屈一辺倒の人だから。書も父は楷書で、祖父は草書ですから、全然違う。永青文庫の所蔵品にしても、祖父は記憶に全部入っているから、いちいち書いてノートなんかつくる必要はないと。ところが父は克明に書かないと気が済まない。両方必要なことだと思いますけどね。
仮装行列に野球、相撲…にぎやかだった細川家
祖父はとにかくにぎやかなことが好きでした。父はどっちかというと好きじゃない方、静かに学問しているというタイプです。
昔はお正月なんかでも七草のお祝いの膳が出てきて、七草を爪につけて足の爪を切るとか、切った爪を千代紙でつくった紙袋にいれてどうとか、いろいろ面倒くさい行事がありました。ドンドヤみたいなことをやったりとか。それ以外にも毎年、10月21日が祖父の誕生日でしたが、よく仮装行列をやっていました。私も何回か引っ張り出されました。有斐学舎に学生さんがいましたから、みんな仮装行列に出てきた。
有斐学舎の人たちとはよく野球の対抗戦もやった。こちらは執事さん、運転手さんとか書生さん、それから近所にいた芸術家の人たち、永青文庫の隣に住んでいた漆芸の高野松山さん(1955年に人間国宝)とか、そんな人たちもみんな加わった細川連合軍です。
-有斐学舎は今の永青文庫の近くに?
いや、永青文庫の下の、今は細川庭園になっているところの横の方にありました。百人くらいいたと思いますよ。庭にクジャクが放してあり、横にクジャク小屋があってね。そこに戦後、細川隆一郎という人-毎日新聞の政治部長もやっていた口の悪い人でしたね-彼がそのクジャク小屋を改造して住んでいたんですよ。おれはクジャク小屋に住んどるとかって得意になっていました。
有斐学舎は寮費が日本一安いというのが売り物で、1円でも値上げしないというとんでもない寮でした。私も高校から大学にかけて、学生さんたちのところによく遊びに行ってました。中には山登りするときに付き合ってもらった人もいます。
ほかにも熊本工からプロ野球巨人に行った川上哲治さんや吉原正喜さんが園遊会に訪れたり。川上さんとは庭でキャッチボールしたり、赤バットをもらったり、グローブもボールももらいましたよ。
祖父はそういうスポーツも好きだったわけですが、もう一つ、細川家の大きな行事としては相撲がありました。吉田司家との関係があったものですからね。いまの和敬塾になっている旧細川邸横のテニスコートに特設の土俵をつくって、そこで横綱が土俵入りをしたんです。昭和12年に双葉山が来たときは私は知りませんが、えらい騒ぎだったそうです。私が抱かれている写真があるのは16年の羽黒山。17年の安芸ノ海と照国も。ここにいきさつが書いてあります。叔母が書いた文章です。
「大相撲協会から申し入れがございまして、明治神宮の奉納相撲に横綱を締めさせたいためと、巡業に行く前に熊本を廻って行くと、大変時間がかかりますので、ご当家で横綱の仮免状を出して頂けませんでしょうか」
というような意味のことを、お役間の人が、父に話しているのを聞いた。(略)
「あら、結構じゃないー、渡しておやり遊ばせよ」
と言うと、父もそう思っていたらしく、二つ返事で引き受けた。
(略)平安時代の文治二年(西暦一一八六年)、後鳥羽天皇の時の節会相撲の折に、吉田家第九代、家次が〝追風〟という称号を賜わり、相撲の横綱、立行司の司家となることを許されたそうで、吉田家が熊本に来たのは、細川家の第五代綱利公の時である。(略)
(寺島雅子『梅鉢草-思いつくまま-』山桃舎)
とにかくゲーム好きの人でした。その辺にこんなごみ箱を置いてね、そこにピンポン球を投げて何個入るかっていうのを競ったり、ロシアのびょうぶで、人がたくさん描いてあるのを手に入れて、「このびょうぶには何人描いてあるか」とか。一番近い人に賞品を出すんです。うち中のみんなに○○ノ海とかのしこ名をつけて、相撲の星取表のようなものをこしらえて、家の中の何カ所かに張り出すわけですよ。それで、あれは今度大関ばいとか言って。そんなことをいろいろ考えてやる人でした。
-戦前の華族社会の暮らしは現在からすると想像もつかないところがありますが、「殿様」という呼称には親しみがこもっているようです。
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