おぼろ迷宮(5)

熊本日日新聞 2023年3月3日 05:00
おぼろ迷宮(5)

 1 最初の事件(五)

 夏芽だって別に好きこのんでこんなアパートを選んだわけではない。周囲には小ぎれいな新築マンションがいくらでもある。ありていに言うと、奨学生である夏芽にはそうしたマンションに入居するだけの資金がなかったのだ。

 一応は風呂付きだし、ぜいたく言ってられる身分じゃないし--そう考えて二階の部屋に入ったのだが、これが実に浅はかだったとすぐに後悔する羽目になった。

 まず建物全体が黴[かび]臭い。壁が薄いので話し声は筒抜け。夏は暑いし冬は寒い。引っ越そうにも手持ちがない。それでやむなく住み続けているという次第である。

 やたらと蒸し暑い夜で、中古の扇風機だけではとてもしのげそうになかった。窓を開けて遮光カーテンを閉める。早く金を貯めてエアコンを買おう、いいや、いっそエアコン付きの物件に越そうと改めて決意する。

 冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出してコップに注いだ夏芽は、早速スマホを取り出して紬に電話する。

 「……あ、紬、今ちょっといい? 実はさ、昨日から変なことがあって……ううん、違う違う、そんなんじゃなくて……そう、なんて言うか、気味の悪い話……あたしもう怖くなっちゃって……」

 昨日からの体験を一通り話す。社会学部の夏芽に対し、紬は文学部だが、学年は同じなので話しやすい。ことに紬は怪談や超常現象の話が大好きで、その手の話にはすぐに乗ってくる。その夜も二人して「コワイよね、あり得ないよね」と盛り上がった。紬は「マルチバースって言うか、異次元にでも迷い込んだんじゃないの。黄昏[たそがれ]時には異世界の入口が開きやすいカンジするし」とまで言っていた。

 夏芽はオカルトや心霊現象は信じないタチであると自認している。そんな非科学的なことがあるわけはない。しかしいわゆる心霊スポット等へは誘われても絶対行かない。死んでも行かない。もし何かあったらイヤだからである。信じないけどイヤ。それは決して譲れない一線でもある。

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