助かったのは私と兄だけ 長六橋近く、10人ほどの遺体にむしろ 2階の畳の上でじっと辛抱 「仏壇だけは」と台に 【70年前の記憶「6・26」】



白川に流され気が付けば岸に 松村清さん(94)=合志市須屋
大学を卒業し、県庁への入庁を控えて熊本市大江地区の白川沿いの実家にいました。白川が増水し、夕方になると近所の人が集まってきました。周りは平屋が多く、2階建てのわが家に避難してきたわけです。
午後10時ごろでしょうか、白川の左岸がえぐられて水がどーっと流れてきました。家が浮き上がり、2階にいた人たちが水に巻き込まれました。家族8人を含めて30人ほどいたと思います。「あー」という断末魔の叫びが聞こえました。
私もあっという間に流され、目の前が真っ暗に。その後、大甲橋や銀座橋を過ぎ、大きなエノキの枝につかまりましたが、力尽きて再び流され、生きることを諦めました。おやじやおふくろの顔が浮かびました。
急に流れが止まったかと思うと、土を握っていることに気づきました。岸に流れ着き、助かったんだと思いました。場所は思い出せませんが、30分ほど流されたんじゃないかな。パンツのひも以外は全てちぎれ、裸一貫でした。家族で助かったのは私と兄だけです。
残り 829字(全文 1290字)
RECOMMEND
あなたにおすすめPICK UP
注目コンテンツTHEMES
防災くまもと-
【速報】宇城市で震度2
熊本日日新聞 -
車両火災の原因学んで備え 大津町 整備組合が勉強会
熊本日日新聞 -
災害「自分のこととして」 東日本大震災被災地の写真など冊子に 荒尾市の甲木さんが出版
熊本日日新聞 -
江戸後期の南海トラフ地震で「皆、千鳥足」 熊本の人物、江戸への道中に克明記録 専門家「貴重な史料」
熊本日日新聞 -
発災前から、まちの復興考えよう 人吉市職員ら「事前準備」学ぶ
熊本日日新聞 -
【とぴっく・人吉市】球磨工高で防災講話
熊本日日新聞 -
【速報】熊本市西区など震度2
熊本日日新聞 -
五木村で村民向けダム説明会 国交省「砂たまりにくい地形を研究」
熊本日日新聞 -
多良木町でのミサイル想定訓練、市民団体が中止要請
熊本日日新聞 -
九州・沖縄の8県警「広域緊急援助隊」、八代市で合同救助訓練 大規模災害時の連携・対応能力向上へ
熊本日日新聞
STORY
連載・企画-
移動の足を考える
熊本都市圏の住民の間には、慢性化している交通渋滞への不満が強くあります。台湾積体電路製造(TSMC)の菊陽町進出などでこの状況に拍車が掛かるとみられる中、「渋滞都市」から抜け出す取り組みが急務。その切り札とみられるのが公共交通機関の活性化です。連載企画「移動の足を考える」では、それぞれの交通機関の現状を紹介し、あるべき姿を模索します。
-
コロッケ「ものまね道」 わたしを語る
ものまね芸人・コロッケさん
熊本市出身。早回しの歌に乗せた形態模写やデフォルメの効いた顔まねでデビューして45年。声帯模写も身に付けてコンサートや座長公演、ドラマなど活躍の場は限りなく、「五木ロボ」といった唯一無二の芸を世に送り続ける“ものまね界のレジェンド”です。その芸の奥義と半生を「ものまね道」と題して語ります。