3月4日付

03月04日 09:14

 福島第1原発事故の語り部として活動する青木淑子さんは、「伝えたいこと」が詰まった1枚の写真を今も大切にしている。狭い一本道にどこまでも続く車の列。10年前の3月12日、避難指示が出された福島県富岡町の住民が一斉に隣村へ向かう様子を写したものだ▼「すぐに帰れる」と思っていたのだろう。ほとんどの人は着の身着のまま。大事なものは全て家に置いてきた様子がうかがえる。渋滞する車から外に出る人もいる。ただ、近くで交通整理をしている警察官は、防護服と防護マスクを身に着けていた。それから6年間、住民は誰一人として町に帰れなかった▼住民たちは避難後、放射能を浴びたかもと不安になったことだろう。あれも持ち出せば良かったと悔やみもしたはずだ。写真が伝えるのは、必要な情報が届かないことの恐ろしさだ▼昨年の熊本豪雨を検証する本紙の連載『察知』でも、災害予測や情報伝達の最前線で働く多くの人たちが悩んでいた。「住民の危機意識にどうつなげるか」「自分ごとと捉えて行動に移してもらうには」と▼県がおととい公表した豪雨被災地の復旧・復興プラン工程表は、河川対策や防災・減災など重点10項目について当面3年間の目標を示した。とはいえ、梅雨や台風は待ってはくれない。早めに避難することの大切さは忘れずにいたい▼東日本大震災から間もなく10年。4月には熊本地震5年を迎える。春は忘れっぽい私たちに被災地の今を伝え、災害と向き合う姿勢を正してくれる季節でもある。

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