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「吾輩は猫である」大人っぽさと猫っぽさのギャップがかわいくて <アイラヴ漱石先生朗読館=2022年10月9日放送>

#読むラジオ
熊本日日新聞 2022年10月9日 00:00
「アイラヴ漱石先生 漱石探求ガイドブック」NPO法人くまもと漱石文化振興会、熊本大学文学部附属漱石・八雲教育研究センター編 集広舎1650円 191ページ
「アイラヴ漱石先生 漱石探求ガイドブック」NPO法人くまもと漱石文化振興会、熊本大学文学部附属漱石・八雲教育研究センター編 集広舎1650円 191ページ

おはようございます、本田みずえです。夏目漱石の作品について理解を深めたい、漱石について詳しく知りたい、そんな人たちに向けて書かれたガイドブック、アイラヴ漱石先生が今年4月に発刊されました。夏目漱石は、第五高等学校の英語教師として、生まれ故郷以外の土地では最も長い4年3ヶ月を熊本で過ごしました。この番組では、そんな漱石先生の文学の面白さを、熊本の高校生の皆さんと探究していきます。今日は、熊本信愛女学院高校2年生の島川雅清さん、森下舞さんと、漱石の長編小説、吾輩は猫であるの魅力を探っていきましょう。解説は、元高校の国語の先生でした西口裕美子さんです。この番組は、NPO法人くまもと漱石文化振興会、熊本大学文学部附属漱石八雲教育研究センターの協力でお送りします。

<朗読>「吾輩は猫である」

吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで初めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮(に)て食うという話である。しかしその当時は何という考(かんがえ)もなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。

<本田>朗読は森下舞さんでした。それでは今日は、信愛女学院高校2年生の島川雅清さん、森下舞さんと、漱石の長編小説 吾輩は猫であるの魅力を探っていきましょう。まず作品の解説を、元高校の国語の先生でした西口裕美子さんにお願いします。

<西口>「吾輩は猫である」は、1905年、明治38年、漱石38歳の時に執筆した処女作、最初の作品です。1904年2月から翌年の9月まで、日本とロシアの間に戦争が起きています。そんな時代を背景に、この作品は生まれました。例えば、春はあけぼのゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、など有名な書き出しの文学作品が古典の世界から現在に至るまでたくさん存在します。中でも、この「吾輩は猫である、名前はまだない」という冒頭文は、書かれたその時から今日までの117年間、多くの人の知る名文です。猫の視点で人間を描くという設定も常識破り、当時の凝り固まった日本人の頭では考えられなかったユニークな作品です。自称「吾輩」の飼い主は、珍野苦沙弥、英語教師、胃が弱いのに大食漢、ノイローゼ気味、偏屈で頑固、言い出したら主張を曲げない人物、奥さんのハゲをバカにしたり、オタンチンパレオロガスなどというおかしな言葉でやじってみたりします。そう、この苦沙弥先生こそは漱石、ペンネームの意味そのままの人物、そして、その夫に負けじと受けて立つ夫人は漱石の妻、鏡子がモデルです。この家の人々や、ここへやってくる風変わりな人々の様を、猫は鋭く観察し、時に批判し、呆れ、笑います。気晴らしのために描いたこの作品がなければ、漱石は小説家にはならなかったでしょう。その意味でも、吾輩は猫であるは貴重な作品なのです。

<本田>ではここからは3人で、作品の魅力や感想についてお話しいただきましょう。

<西口・高校生>よろしくお願いします。

<西口>お二人が通っておられる、信愛女学院、前の通りを吾輩通りと言いますよね。

<高校生>はい。

<西口>それは知ってましたか。

<高校生>はい。

<西口>それと、あの正門のすぐ近くに猫の石像があるでしょ。あれをどう思って毎日見てますか。島川さんから聞きます。

<島川>初めて見た時は、すごい可愛らしい猫だなって思って見てて、それはずっと変わらないんですけど、実際に本を読んでみて、三毛子さんの登場するシーンを見た時に、ちょっとイメージと違ったなっていう風に正直思いました。

<西口>三毛子さんは白猫ですもんね。そういうご縁もあるのか。今日は、吾輩は猫であるを取り上げてもらいましたので、その話をしていきましょうね。この作品で好きな場面、印象に残っている場面を教えてください。まず島川さんお願いします。

<島川>はい。私は本全体を通して、苦沙弥先生と奥さんが会話をしている場面が、男性を立てることが当たり前だった明治時代の常識にとらわれずに、気兼ねなく話しているところがすごく素敵だと思って、それは漱石さんと奥様の夫婦の姿でもあったのかなと思って、すごい印象に残っています。

<西口>気兼ねなくどころじゃなく、かなり激しくやり合いますよね。あの時代にそういうふうな夫婦間の会話が成り立っていたのだなというのは、ちょっと驚きですよね。森下さんはどの場面が好きでした?

<森下>主人公の猫が苦沙弥先生を、性の悪い牡蠣、牡蠣の根性、牡蠣先生などのしつこく書いているので、漱石先生も牡蠣を食べる時に殻が取りづらかったのが嫌だったのかなと想像したり、登場人物に対するネーミングセンスとかも、なかなかきついものがあるので、そこがユニークで面白いなと感じました。

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