総理大臣、アーティスト…細川護熙という生き方 今の日本はあなたの目にどう映っていますか?
30年前の1993年、日本国民の期待を一身に担った総理大臣がいました。それまでの自民党一党支配体制を初めて突き崩し、非自民連立政権のトップに就いた細川護熙さん。しかし当時の最大懸案だった政治改革法案の成立と、自由な通商体制を守るというウルグアイラウンド交渉妥結に向けたコメの部分開放受け入れを果たすと、わずか7カ月余りで退陣。60歳を迎えた98年には政界そのものを引退しました。余生は神奈川県湯河原町で〝閑居〟の日々を送るはずが─。
間もなく85歳を迎える細川さんは、今や陶芸、書、絵画など多彩な作品を世に送り出す希代のアーティストであり、折に触れその言動にメディアが注目する存在でもあります。もちろん本紙もその一つ。細川さんお元気ですか。今の日本はあなたの目にどう映っていますか。
文・宮下和也(編集委員室)
写真・小野宏明(写真映像部)
東京・品川区の大通り。橋の手前を折れて少し歩くと車道が尽き、思いがけない静けさに包まれました。川沿いに桜並木の遊歩道が始まる辺り。黒い壁にれんが色の屋根が、細川護熙さんのアトリエです。
ガレージのフェンス越しに、妻の佳代子さんのマスク姿が見えました。ドアが開き細川さんが迎えてくれます。ここは細川家歴代の墓所もある敷地にあって、その辺りだけうっそうとした森になっています。塀の向こうには、徳川家光の指南役で、細川家ともゆかりの深い沢庵[たくあん]禅師が開いた東海寺。
天井が高く広い室内に、大画面の水墨画や油絵、漆絵から小品の板絵までおびただしい作品が一見、無造作に置かれていました。
これはクレパスで描いた阿蘇の根子岳。こちらは漆ですが、中国の火焰[かえん]山というのがあって。
1メートルほどの正方形の画面に、異国の楽人や舞人、天女がそれぞれ描き込まれた連作は、2019年に奈良・薬師寺の慈恩殿に奉納した障壁画の下絵を切り離したもの。ふすまや壁66面に計113枚の絵をはめ込んだ障壁画は、有名な三蔵法師のインドへの旅をイメージしたひとつながりの絵で、長さ158メートルにも及ぶ超大作でした。
その下絵をこう切り離してみると、また面白い作品になるのですね。下絵ですから鉛筆でも描いていますが、それも面白い。
作品の幾つかを慎重に見つめた後、鉛筆で「FUTO」と署名を入れていきます。その「不東」という号は、三蔵法師玄奘[げんじょう]が経典を求めて西域に旅立つ際、仏法を極めるまで帰らないという不退転の決意を示した言葉から取ったそうです。いま神奈川県湯河原町の「不東庵」に居を構える細川さん。政治家が住む「東」京はごめんだ、という意味ではない、とのことですが。
◇
1998年に政界を引退して「帰りなん、いざ」と晴耕雨読の暮らしを志した細川さんですが、旺盛な創作活動が注目され、既に四半世紀近く。その作品世界はろくろの修業から入った焼き物に始まり、水墨画、油絵、漆絵などジャンルを問わず広がっています。薬師寺、東大寺、建仁寺、龍安寺など奈良、京都の名だたる寺院からは、ふすま絵、障壁画の依頼がひっきりなし。
特に昨年は多忙でした。6月にウクライナ難民支援を掲げた絵画展を開催。収益に加え、熊本県庁をはじめ企業や団体約15カ所に募金箱設置を依頼し、集まった多額の浄財を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に託しました。
アトリエに、絵画展に出品した「百鬼蛮行―私のゲルニカ―」がありました。ウクライナのチェルノブイリ原発で、放射能を封じ込めた〝石棺〟の中に、人とも物[もの]の怪[け]とも付かぬものどもがうごめいている。
この逆さまなのがプーチン。だけどあまり似すぎていたんで描き直しました。
大所高所も何もないんですよ。そこに困っている人がいるんだから、そりゃあ助けなきゃいかんのですよ。
東京国立博物館名誉館員で陶磁史家の故林屋晴三さんは生前、安土桃山時代に陶芸や蒔絵[まきえ]で異彩を放った元祖マルチクリエーターの本阿弥光悦、昭和の実業界にあって書画、陶芸の優れた作品を創作した川喜田半泥子(1878~1963)と、細川さんとの三人展の企画を温めていたそうです。いずれも職業作家、プロの創り手ではないところに共通点があります。
しかし、どれほど画才に富んだ人であっても、いきなり筆を執って、中国の伝統的な水墨の画題である「瀟湘八景[しょうしょうはっけい]図」を描けるわけではありません。
華やかな才能の奥には、長い歴史を持つ細川家の長子として身に付けた深い教養が息づいている。そしてそこには、東京生まれの細川さんが「ふるさと」と呼ぶ肥後熊本の風土も関わっています。
戦前の日本にあって中国研究の基礎を築いた人びとの中に、熊本の私塾・同心学舎(後に済々黌、現在の県立済々黌高)出身で〝肥後漢学の三羽がらす〟といわれた3人がいます。京都帝大で東洋学の創始者の一人となった狩野直喜、世界初の『支那文学史』を著した古城貞吉、東京帝大教授の宇野哲人。
細川さんの父護貞さんは京都帝大で狩野に師事し、二人の息子にも幼い頃から漢文の素読を厳しく授けました。意味や内容はさておき、文字だけを暗唱するようにたたき込む伝統的な学習法です。
私はもう4、5歳の時から宇野哲人さんに付かされたんですよ。大迷惑[おおめいわく]ですよほんとにね。〈シノタマワク、マナンデトキニコレヲナラウ…〉と一字一字読まされて。空襲警報が鳴る中でも押し入れでね、しごかれてたわけで、でもまあ、それを今でも覚えているというのは不思議なことですね。
漢文的素養ばかりでなく、少年期には講談本や歴史小説、伝記物を読みふけっていたといいます。肌の合わなかった中高一貫の名門私立校から、高校は学習院高等科に転入。祖父護立さんの目白台の家から通ったことも、若き細川さんに多大な影響を与えました。
父の読書量はものすごかったですよ。私なんか父と比べるとね。本棚なんかすごかったですから。ドストエフスキーから何から。京都大学時代から狩野さんとか吉川(幸次郎)さんとか内藤湖南さんに師事した。また、西田幾太郎さんの教え子でしたから、ずいぶん影響を受けていたでしょうね。
父護貞さんは戦前、近衛文麿首相の秘書官などを務め、終戦間際の政治の動きをつぶさに見聞しました。これに対し、祖父護立さんは大正期の文壇をリードした文芸誌「白樺[しらかば]」の創刊同人であり、横山大観や梅原龍三郎らの後援者として、また東洋美術の一大コレクターとして〝美術の殿様〟と言われた人。
祖父はまあ、ほんとに文人的な人でしたね。父ほど本は読まないけど、禅書はたくさんありました。登山とか探検とかそういった関係の本が多かったですね。外国の書物もすごく多かった。スヴェン・ヘディンなんていう人の書いたヒマラヤの話とか。
禅についてはずいぶん話を聞かされました。殿様然とした生き方はなかなか洒脱[しゃだつ]なところがあって、毎晩、食事が終わってからね、習字の練習を三、四十分欠かしたことがなかった。そういうところは学ばなきゃいかんなと思っている。なかなかできることじゃないですよ。
参院議員、熊本県知事を経て日本新党を立ち上げ、1993年の衆院選に初当選。そのまま首相の座に駆け上った細川さんですが、実は当選同期でもう3人、首相になった人がいます。野田佳彦さん、故安倍晋三さん、そして現首相の岸田文雄さんです。政治向きの問いには口が重かった細川さんですが、いざ話し始めると年代や用語がすらすらと出てきて驚かされます。
2014年の安保法制で自衛隊は集団的自衛権の行使が認められて、今度は敵基地攻撃能力まで持とうかとなっている。すごく難しい話ですね。一つ間違うと国際法違反の先制攻撃に当たる。
沢庵さんの言った言葉があります。〈百戦百勝するも一忍に如[し]かず〉。百回戦って百回勝っても、そんなことより戦わないことが一番いい。この70年余り、日本は平和を続けてきた。それが一番の勝利であって、こっちがミサイルを持つということになれば、それは攻撃されますよ。
経済だってそうだと思いますよ。異次元緩和というものから、やがて10年になるんですかね。これはやっぱり失敗だったという反省に立って、まずは2013年1月の政府日銀の共同声明見直しから始めるべきだと思いますね。
取材後の昨年12月20日、日銀は大規模金融緩和策を修正、事実上の利上げに踏み切りました。
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