【新札の顔・柴三郎 偉人の残像㊤】生家近く流れる北里川 大好物の川魚食べ「古里に帰ったよう」
20年ぶりに新しくなる紙幣の発行が、7月3日に迫った。小国町出身で、新千円札の顔になる世界的な細菌学者、北里柴三郎(1931年没)を育んだ地に、幼少期の残像をたどる。(花木弘)
◇ ◇
「北里川の川魚を早速お送りされ、ご厚情感謝申し上げます。私は川魚が大好物で特に北里川の白ハエは他に比べようもないもので私の最も珍味するところです。久しぶりに古里に帰ったような気持ちになり味わいました」
1916(大正5)年1月、63歳になる柴三郎が、後に初代小国町長に就く遠戚の北里雄平氏に出した礼状が残っている。古里から届いた北里川の川魚に箸を付け、郷愁に浸る姿が目に浮かぶ。
柴三郎は、江戸後期の1853年1月29日、阿蘇郡小国郷北里村(現小国町北里)の庄屋の家に生まれた。ペリーの黒船が浦賀沖に現れたのが同年6月。幕末から明治維新へと向かう日本近代化の時代に、幼少期を過ごした。
生家は村中心部にあり、そばを流れていたのが北里川だ。熊本、大分、福岡、佐賀の4県を流れる筑後川の源流域の支流。風光明媚[めいび]で普段は穏やかだが、地元の人が後世に伝えたいとする負の歴史もあった。
柴三郎生誕100年の1953年に起きた「6・26水害」は、小国町では「北里大水害」として語り継がれている。熊本、大分県境の涌蓋山[わいたさん]の山腹が豪雨で崩壊。山津波となって麓の集落を襲った。町内の犠牲者53人のうち、41人が北里地区の住民。生家は被災を免れたが、水害後の河川改修に伴い、母屋の一部は小高い丘に整備された「北里柴三郎記念館」の敷地に移築され、今に至る。
地区老人クラブ「北里3部ドンネル俱楽部」会長の北里勝義さん(72)は、柴三郎生家跡の向こう岸に住む。「祖父や父も白ハエを釣って食べていた。博士も子どもの頃、河原で釣りやチャンバラをして遊んでいたのでしょう」
勝義さんは今春、クラブ名称を「雷(ドイツ語でドンネル)おやじ」と敬愛された地元の偉人にちなんで変えた。「がき大将だったと聞く博士にあやかり、元気に活動したい」と笑う。
食通で知られる柴三郎は、雄平氏への手紙の末尾で再び、無心する。「とても厚かましいお願いでございますが、寒中にまたもう一度お送り願いますように、特に白ハエを希望申し上げます」。北里川は、古里そのものだった。
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