ジャンプ金、笠谷幸生さん死去 冬季五輪日本人初、日の丸飛行隊

共同通信 2024年4月26日 04:09
 日本に冬季五輪史上初の金メダルをもたらした70メートル級ジャンプの笠谷幸生=1972年2月、宮の森ジャンプ競技場で撮影
 日本に冬季五輪史上初の金メダルをもたらした70メートル級ジャンプの笠谷幸生=1972年2月、宮の森ジャンプ競技場で撮影
 笠谷幸生さん=21年、札幌市で撮影
 笠谷幸生さん=21年、札幌市で撮影
 1972年2月、札幌冬季五輪の70メートル級ジャンプで金メダルの笠谷幸生氏(中央)=宮の森シャンツェ
 1972年2月、札幌冬季五輪の70メートル級ジャンプで金メダルの笠谷幸生氏(中央)=宮の森シャンツェ

 1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプの70メートル級(現ノーマルヒル)で優勝し、日本人で初めて冬季五輪の金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は家族で行った。喪主は妻則子(のりこ)さん。後日お別れの会を開く。

 北海道の余市高(現余市紅志高)から進んだ明治大時代の64年、インスブルック五輪に出場した。ニッカウヰスキー入社後は70年世界選手権70メートル級で2位になるなど、力強い踏み切りと美しい空中姿勢を武器に活躍した。本場欧州で注目されるジャンプ週間を3連勝して優勝候補として臨んだ札幌五輪の70メートル級は、2位の金野昭次、3位の青地清二(ともに故人)と表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本中を沸かせた。90メートル級は7位だった。

 76年インスブルック五輪を終えて引退。日本オリンピック委員会(JOC)理事として10年バンクーバー五輪で日本選手団副団長を務めた。18年に文化功労者に選ばれた。

RECOMMEND

あなたにおすすめ
Recommend by Aritsugi Lab.

KUMANICHI レコメンドについて

「KUMANICHI レコメンド」は、熊本大学大学院の有次正義教授の研究室(以下、熊大有次研)が研究・開発中の記事推薦システムです。単語の類似性だけでなく、文脈の言葉の使われ方などから、より人間の思考に近いメカニズムのシステムを目指しています。

熊本日日新聞社はシステムの検証の場として熊日電子版を提供しています。本システムは研究中のため、関係のない記事が掲出されこともあります。あらかじめご了承ください。リンク先はすべて熊日電子版内のコンテンツです。

本システムは「匿名加工情報」を活用して開発されており、あなたの興味・関心を推測してコンテンツを提示しています。匿名加工情報は、氏名や住所などを削除し、ご本人が特定されないよう法令で定める基準に従い加工した情報です。詳しくは 「匿名加工情報の公表について」のページ をご覧ください。

閉じる
注目コンテンツ
全国のニュース 「スポーツ」記事一覧