巨大企業進出 激変する地域を守る 菊陽武蔵剣豪太鼓の秋吉龍樹さん(26)【2024熊本県知事選 若手記者企画「熊本暮らし 先輩に聞いてみた」④】
和太鼓が発する激しい音の波が、じかに記者の体を震わす。寸分違わぬタイミング。会員たちの何かが乗り移ったような真剣な表情に圧倒された。
13日午後8時過ぎ、菊陽町の武蔵ケ丘コミュニティセンター。防音室に太鼓や鐘の音、威勢の良いかけ声が響き渡った。「練習の時にできんことは、本番でもできんとよ」。太鼓をたたく合間にじゃれ合う小学生を、共に練習する大人たちが優しくたしなめる。
厳しくも楽しく-。秋吉龍樹さん(26)=熊本市東区=が所属する太鼓グループ「菊陽武蔵剣豪太鼓」の練習からは、そんな言葉が浮かぶ。39年前、菊陽町の武蔵ケ丘団地の住民が中心となり結成。現在は合志市や熊本市などに住む小学1年生から69歳まで33人が所属する。学校や地域の夏祭りから真剣勝負のコンクールまで、年間60ステージほどに出演する。
中学3年の時、同じ野球部だった友人に誘われて練習に参加した。「体育大会の応援で太鼓をたたく友人の姿がかっこよくて」。気付けば太鼓は秋吉さんの一番長い趣味になった。メンバーは休日も集まる「家族のような存在」。小学生会員の母親らも「お兄さんお姉さんが面倒を見てくれるし、礼儀もしっかり教えてくれる」と信頼を寄せる。
世代を超えてアイデアを出し合い、より良い舞台を作り上げていく。剣豪太鼓の練習には、そんな空気が流れていた。地域で子どもを育む大人たちの温かさも感じた。
剣豪太鼓の会員が暮らす地域は今、劇的に姿を変えつつある。巨大な半導体工場、台湾積体電路製造(TSMC)の菊陽町進出だ。
林業を営む祖父の会社で働く秋吉さん。熊本市東区小山の自宅から菊池市の職場までの通勤時間は、この数年で20分ほど長くなった。午前6時過ぎには、既に国道325号が渋滞。「前ならすいすい進んでいた道が、今ではいつ出ても混んでいる。地元の人しか知らないような脇道まで車がぎっしり」と苦笑する。
県が昨年11月に公表した2024年度の基準宅地価格によると、県内45市町村の平均変動率は前回21年度と比べマイナス0・9%。一方、菊陽町の上昇率は26・6%と県内最大。周辺市町の地価も上がった。記者も関連企業の進出が相次ぎ、店や人が増える様子を見聞きしてきた。
太鼓がきっかけで出会った妻、麻里亜さん(25)と4歳、2歳、0歳の3人の子どもを育てる秋吉さん。毎朝午前5時に起きて、弁当を作ってくれる麻里亜さんの負担を軽くするため、職場に近い大津町に新居を構えることも考えた。
しかし、大津町の基準宅地価格は22・8%のプラス。みるみるうちに上昇した土地の値段に、秋吉さんは「完全に予算オーバー。今は諦めモードです」。当面、両親と同居している東区の実家で暮らそうと考えている。
ただ、この数年で周辺市街地は「便利になった」と感じている。子どもの遊び場や、おしゃれなカフェも増えた。「子どもたちを遊ばせながら、親がゆっくり話せる店もある。子育て世帯が喜ぶような、こういう場所がもっと増えるといい」と歓迎する。
菊陽町は原水地区に、スケートボードや自転車のBMXなど都市型スポーツ専用施設の整備を計画。JR豊肥線の新駅建設も予定する。合志市には、食品スーパーを中心としたオープンモール形式の新たな商業施設も開業する予定だ。
半導体関連産業の集積は、地域経済を潤してくれるだろう。しかし、太鼓をたたく秋吉さんや社会人メンバーの姿を見ていると、人が地域に残る理由は経済状況や生活の利便性だけではない、と感じる。
秋吉さんは学生の頃、県外に出ることも考えた。しかし、気心の知れた仲間と太鼓をたたく今の生活を選び、満足している。
「メンバーと一緒にいると、太鼓をたたいていない時も楽しい」と会員たちはよく口にする。「仕事や子育てなど大変なことはあるけど、居心地の良い空間をこれからも皆と守っていきたい」と秋吉さん。奥では、楽器を片付ける子どもたちのにぎやかな声が聞こえていた。(石井颯悟)
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