おぼろ迷宮(8)

熊本日日新聞 2023年3月6日 05:00
おぼろ迷宮(8)

 1 最初の事件(八)

 古めかしいYシャツにスラックス。鳴滝老人であった。ほんの少し躊躇[ちゅうちょ]してから、思い切って声をかける。

 「こんにちは」

 怪訝[けげん]そうに足を止めた老人は、眼鏡の縁に手を遣ってから、

 「ああ、お隣のお嬢さんか」

 ようやく気づいたようである。

 「今日は久しぶりにいいお天気ですね」

 すると老人は頭上を振り仰ぎ、

 「なるほど。数日来の上天気だ」

 「え、あたし、てっきりお天気がいいから散歩でもしてらっしゃるのかなと思ったんですけど」

 「散歩中であるのは確かですが、天気にまでは留意しておりませんでした」

 なんだか調子の合わない会話である。昨日のことをそれとなく尋ねるつもりが台無しだ。しかしこの機を逃すわけにはいかない。夏芽はいささか強引に切り出した。

 「あの、昨夜はうるさくなかったですか」

 「はあはあ、あの和菓子屋の話ですか」

 直球で返された。やっぱり聞こえていたのだ。

 「すみません、いつもうるさくて。今後は気をつけるようにしますから」

 「いやいや、お気になさらず」

 こっちが気になるんですよ、とは言えないもどかしさ。

 「でも、ご迷惑をおかけして……」

 「それより、確かに不可解な話でしたな。若いお嬢さんが恐くなって当然だ。よかったら私が調べてみましょう」

 「……はい?」

 調べてみましょう……って、どういうこと?

 「だがそのためにはもう少し詳しく話を聞かせてもらわねば……お嬢さん、ついておいでなさい」

 言うや否や、老人は先に立ってすたすたと歩き出した。こちらの都合など訊く素振りさえなかった。

 「あっ、ちょっ……待って下さい、待ってったらっ」

 予想外の成り行きに、夏芽は老人の後を追うよりなかった。

RECOMMEND

あなたにおすすめ
Recommend by Aritsugi Lab.

KUMANICHI レコメンドについて

「KUMANICHI レコメンド」は、熊本大学大学院の有次正義教授の研究室(以下、熊大有次研)が研究・開発中の記事推薦システムです。単語の類似性だけでなく、文脈の言葉の使われ方などから、より人間の思考に近いメカニズムのシステムを目指しています。

熊本日日新聞社はシステムの検証の場として熊日電子版を提供しています。本システムは研究中のため、関係のない記事が掲出されこともあります。あらかじめご了承ください。リンク先はすべて熊日電子版内のコンテンツです。

本システムは「匿名加工情報」を活用して開発されており、あなたの興味・関心を推測してコンテンツを提示しています。匿名加工情報は、氏名や住所などを削除し、ご本人が特定されないよう法令で定める基準に従い加工した情報です。詳しくは 「匿名加工情報の公表について」のページ をご覧ください。

閉じる
注目コンテンツ
熊本のニュース