おぼろ迷宮(2)
1 最初の事件(二)
抵抗する間もなく店の外に押し出された。厳密に言うと抵抗しようとしたのだが、それを許さぬほど強い力であり、また恐いくらいの怒りが伝わってきたのであった。
音を立てて閉められた出入口を振り返り、暖簾の店名を確認する。間違いない、甘吟堂だ。
もう一度中に入って抗議しようかとも思ったが、店主と名乗った男の力と怒りを思い出すと、恐ろしくてとてもそんな気にはなれない。
すっかり暗くなった路地で、夏芽は雨に打たれて呆然と立ち尽くした。
アパートに帰り着く頃には、雨はすっかり本降りになっていた。
もうわけが分からない--
ずぶ濡れになった衣服を脱いで洗濯機に放り込み、浴室のシャワーで凍えた体を温めながら、夏芽は体験したばかりの出来事をずっと思い返していた。
自分は半年近くもあの店でバイトをしている。昨日だって、あの店でいつものように、いつもの店主と一緒に働いた。店頭には団子や饅頭[まんじゅう]、餅菓子等が並べられ、客席として四人がけのテーブルが全部で五つ。全体に煤[すす]けた店内に飾られた扁額も、棚に置かれた招き猫も、内装だって昨日とまったく同じであり、何も変わっていなかった。
夏芽はC大学社会学部の二年である。半年前、新しいバイト先を探していたところ、甘吟堂の店先にあった「アルバイト募集中」の貼紙を偶然目にした。飛び込みで応募すると、その場で採用された。店主は雛本泰次[たいじ]という三十代半ばくらいの独身男性で、創業者を祖父に持つ三代目である。二代目はだいぶ前に逝去しており、店は雛本の自宅を兼ねている。店主とバイトの二人きりという小さな店だが、昨日までうまくやってきた--はずであった。
雨に追われて焦ったせいで違う店に飛び込んだなんてことはあり得ない。いくら自分でもそこまでそそっかしくはない。自分は漫画の登場人物なんかではないのだ。第一、暖簾で店名を何度も確認している。
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