「思ひ出す事など」漱石の人生ってこんなに上げ下げの激しいものなんだ<アイラヴ漱石先生朗読館=2022年11月27放送> 

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熊本日日新聞 2022年11月27日 00:00
「アイラヴ漱石先生 漱石探求ガイドブック」NPO法人くまもと漱石文化振興会、熊本大学文学部附属漱石・八雲教育研究センター編 集広舎1650円 191ページ
「アイラヴ漱石先生 漱石探求ガイドブック」NPO法人くまもと漱石文化振興会、熊本大学文学部附属漱石・八雲教育研究センター編 集広舎1650円 191ページ

おはようございます。本田みずえです。夏目漱石の作品について理解を深めたい、漱石について詳しく知りたい、そんな人たちに向けて書かれたガイドブック、アイラヴ漱石先生が今年4月に発刊されました。夏目漱石は、第五高等学校の英語教師として、生まれ故郷以外の土地では最も長い4年3ヶ月を熊本で過ごしました。この番組では、そんな漱石先生の文学の面白さを、熊本の高校生の皆さんと探究していきます。今日は、熊本マリスト学園高校2年生の飯星美咲さん、1年生の日置星流さん、漱石の随筆、思ひ出す事など魅力をたどっていきましょう。解説は、元高校の国語の先生でした西口裕美子さんです。この番組は、NPO法人くまもと漱石文化振興会、熊本大学文学部附属漱石八雲教育研究センターの協力でお送りします。

「思ひ出す事など」

あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またあるものは眼の前に逼(せま)る結婚を延期して来た。余はこれらの人に、どうして来たと聞いた。彼らは皆新聞で余の病気を知って来たといった。仰向けに寝た余は、天井を見詰めながら、世の人は皆自分より親切なものだと思った。住みにくいとのみ観じた世界に、忽(たちま)ち暖かな風が吹いた。

四十を越した男、自然に淘汰(とうた)せられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に、忙しい世が、これほどの手間と時間と親切を掛けてくれようとは夢にも待設(まちもう)けなかった余は、病(やまい)に生き還(かえ)ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。また余のためにこれほどの手間と時間と親切とを惜しまざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打壊(うちこわ)す者を、永久の敵とすべく心に誓った。

<本田>朗読は飯星美咲さんでした。それでは今日は熊本マリスト学園高校2年生の飯星美咲さん、1年生の日置星流さんと、漱石の随筆、思ひ出す事などの魅力を探っていきましょう。まず作品の解説を、元高校の国語の先生でした西口裕美子さんにお願いします。

<西口>この作品は1910年、明治43年のいわゆる修善寺の大患について、漱石自身が描いた随想です。この3年前、1907年の3月に、漱石は東京帝国大学第一高等学校に辞表を提出します。そして4月に朝日新聞社に入社します。40歳でした。入社の時の中で彼はこんな興味深いことを言っています。近年の漱石は、何か書かないと生きている気がしないのである。なぜ大学を辞めて新聞社などに入るのかという、周囲の疑問に答えたのです。入社の時の最後の一文はこうです。変わり者の世を変わり者に適するような境遇に置いてくれた朝日新聞のために、変わり者としてでき得る限り尽くすは世の嬉しき義務である。漱石先生は超真面目なのです。だから無理をします。前期三部作の門を掛け上げたのは6月6日。すでに具合が悪かった漱石は病院で胃潰瘍と診断。6月18日から7月31日まで入院、そして退院後、修善寺温泉で養生するはずが悪化。修善寺に来て19日目には3度の吐血。危篤状態に陥ります。それから40日間ほど寝たきりの状態でした。これが修善寺の大患です。持ち直した漱石は東京へ帰り、再入院をします。その入院先で自分の体験をもとに執筆した文章が朝日新聞に思ひ出す事などとして掲載されます。死を疑似体験した漱石は、人間は死すべきもの、儚さということを強く意識します。これはそれ以降の作品に色濃く現れてくるのです。

<本田>では、ここからは3人で作品の魅力や感想についてお話ししていただきましょう。

<西口>はい、よろしくお願いします。

<高校生>よろしくお願いします。

<西口>思ひ出す事などという本を選んだのは、なぜかしらと、まずは最初に聞きたいんですけれどね。ちょっとこれは他の小説たちとは違いますよね。難しかったでしょう。

<飯星>はい、すごく難しかったです。

<西口>どこが難しかったですか?

<飯星>そうですね、漱石も自分が胃潰瘍になってから治ったと思ったら、また悪化したり、また治ったりというのが何度も繰り返されているので、すごくリアルだなというふうにも感じるし、漱石の人生ってこんなに上げ下げの激しいものなんだなというのがすごく印象に残っています。

<西口>日置君どうですか?

<日置>途中途中出てくる哲学の話などでこんな考え方もあるんだとか、そういうのも思いながら読んでいって、哲学者ではないんですけどドストエフスキーという方がロシアの国が作った法律に背いて一揆をしようということで叫んだんですけど、でも国は捉えてその人を実際に処刑台に立たされて、そのことに対して動じないかったというか

<西口>そういうドストエフスキーの姿を漱石が描いたっていうのは何を思ったから?

<日置>自分も一回死んでしまって、そこから生き返ってこの人とはちょっと痛感するものがあったんだなという漱石の気持ちがあったから、どうしても描きたかった

<西口>そうだよね、どうしても描きたかったということだよね多分だから難しいね、いろんな人たちが登場するけどどうしても描きたかった人たちなんだよね、きっとねそれぞれにねじゃあ飯星さん、惹かれたところとかありますか?

<飯星>そうですね、俳句とか漢文とかがたくさんあって、その中でも俳句でいいなって思ったところがありました。「腸(はらわた)に春滴るや粥の味」という漱石の俳句があったんですけど漱石はその病気のせいで、くず湯ぐらいしか飲めなかったっていう風にこの本には書いてあるんですけど、その中でも少しずつ漱石の病弱も回復してきて、オートミールであったりとか、ソーダビスケットであったりとか、いろいろな食べ物をどんどん食べれるようになってきて、それでこの俳句が書かれていたんですけど。

<西口>漱石はものすごく胃が弱いのにもかかわらず、ものすごく食いしん坊なんですよ。そんな漱石が病気をして何にも食べられなかった。ところがやっと食べられるっていう。ここに惹かれたのは何か共通する思いがあるからかしら?

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