体操指導者、金子明友さん死去 ローマ五輪で初の団体優勝
体操男子の1952年ヘルシンキ五輪代表で、指導者として日本の隆盛に貢献した金子明友(かねこ・あきとも)さんが昨年12月24日、老衰のため死去した。97歳。福島県出身。葬儀は同31日に近親者で行った。喪主の妻順子さんが21日に明らかにした。
東京高等師範学校(現筑波大)を卒業し、ヘルシンキ五輪で団体総合5位。引退後は60年ローマ五輪でチームリーダーを任され、日本初の団体総合優勝に導いた。東京教育大(現筑波大)教授として体操の科学的分析と合理的指導法の研究に取り組んだ。
日本体操協会の技術実行委員長や国際審判員として、日本体操界の理論的支柱になって後進に大きな影響を与えた。