7月15日付

7月15日 07:59

 「きたないきたない、らい病の子」と街宣車ががなり立て、近所の子どもたちからは「うつる、寄るな」と石を投げつけられた。当時、小学校2年生だった女の子はただ、うずくまって泣いた▼それ以来、女の子は自分が投げつけられたのと同じ言葉を、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(合志市)にいる母親と面会するたびに叫ぶようになった。「とうとう母が亡くなるまで、自然な親子関係は結べませんでした」。ハンセン病家族訴訟原告の奥晴海さん(72)=鹿児島県奄美市=は、今も悔やみ続けている▼奥さんが遭遇した「黒髪校事件」(1953~55年)は、恵楓園入所者を親に持つ児童の就学が拒否された差別事件である。この事件は家族訴訟でも取り上げられたが、国は「ハンセン病に対して特別に偏見の強い地域で起きた事象。国の政策に起因するものとは言えない」と、強弁していた▼恵楓園は国内最大の療養所であり、県内では国内最大の強制収容「本妙寺事件」(40年)も起きた。「黒髪校事件」の直前には、強制隔離政策をさらに強化する「らい予防法(新法)」も制定されていた▼「特別に偏見の強い地域」は、こうした数々の国策によってつくられたのではないか。「政府として深く反省」とした首相談話はまず、責任逃れの主張に終始してきた姿勢にこそ向けられるべきだろう▼65年前、黙って泣き続けた奥さんは今、顔も実名もさらして法廷にも会見にも立つ。求めているのは、それが特別とされない当たり前の社会である。