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検証ハンセン病史 第2部 「可治の病」 (3)外来治療
療養所以外の受診はすべて自費。相当の負担を覚悟した
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| 通院の際に処方された薬を記した元患者の手帳=京都大病院
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二月上旬、京都大付属病院の皮膚科外来待合室で、大阪府の男性(69)が診察を待っていた。
顔や体にハンセン病特有の斑紋(はんもん)が現れたのは中学時代。いったん療養所に入ったが、症状が改善したため実家に戻った。大阪に出たのは二十三歳の時。会社に勤め、結婚した。病気のことは内緒だった。
三十歳のころ再発。療養所にいる兄弟から、同病院が外来治療していることを教えられた。
「肉体的、精神的ハンディを背負って社会で生きるのは、とてもしんどかった。それでも、人並みの生活を送ることができたのは、療養所に入らずに済んだから…」。後遺症の診察のため、男性は今も二、三カ月に一度、京都まで足を運ぶ。
大島青松園(香川県)の和泉眞藏医師(65)は三十五年前から、同病院に通って外来治療に携わっている。療養所以外でも治療可能だという信念と、「実践を通じ、国が進める隔離政策に声を上げたい」との思いからだ。
しかし、外来治療に取り組んできたのは、隔離に異を唱えた故小笠原登氏の遺志を受け継ぐ京都大のほか、大阪大、東北大の各付属病院、愛知県の外来診療所など数カ所に限られた。
らい予防法が廃止される前は健康保険の対象疾病に含まれず、療養所以外で受診した場合、治療費はすべて自費。入院ともなれば、相当の自己負担を覚悟しなければならなかった。苦肉の策として和泉医師は、末しょう神経炎や皮膚抗酸菌症の病名で保険診療した。
それでも遠方から長期通院する患者、元患者には、時間的、経済的な困難が立ちはだかる。「ほとんどの場合、治療を受けるには療養所に入るしかなかった」。和泉医師らの試みは、隔離を前提とした法律の下では”例外”でしかなかった。
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