【あの時何が 県災害対策本部編②】人命救助、危機管理の“プロ”に一任
前震から約30分が経過した昨年4月14日午後10時前、熊本県知事の蒲島郁夫(70)は、県庁新館10階の防災センターに到着した。エレベーターは停止し、使えるのは階段だけ。同じように何十人もの職員が階段を上りながら「なぜ10階に防災センターをつくったのか」と舌打ちした。
午後10時40分、蒲島は自衛隊へ災害派遣を要請。日付が変わった15日午前0時半、県災害対策本部の第1回会議が始まった。
防災服を着た県の各部長ら幹部、県警や消防の連絡員らが緊張した面持ちで顔をそろえた。「県民の人命救助を最優先に総力を挙げて応急対策に取り組んでほしい」。蒲島はそう訓示した。人命救助の指揮官に指名したのは、県危機管理防災企画監、有浦隆(59)だった。
有浦は2014年4月、陸上自衛隊を定年退官後、現職に就いた。自衛官時代は、第47普通科連隊(広島県)など千人規模の連隊長を務め、災害派遣の経験も豊富だ。「どの現場に、どの規模の部隊を投入するか」-。自衛隊や警察、消防との調整は危機管理の“プロ”に一任された。
県危機管理防災課長、沼川敦彦(54)は、蒲島が08年の知事選で初当選した直後の最初の知事秘書で、政治学者から政治家に転身し、手探りだった蒲島と1年間行動を共にした。自衛隊との「顔の見える関係づくり」を重視し、当選後すぐに陸上自衛隊西部方面総監を訪ねたことを思い出していた。
人命救助の指揮を有浦が執る一方、沼川らは被災した市町村はじめ県庁内の各部局、国の関係機関などとの対応に当たった。前震発生から1時間もすると、県内の被害状況が徐々に明らかになってきた。道路の寸断、住宅の倒壊、家の下敷きになった犠牲者…。被害は震源地の益城町に集中していた。
「益城に人を出せ!」。県知事公室長、田嶋徹(61)は2人の部下を派遣し、情報連絡に当たらせた。
この時、蒲島の秘書だった原裕貴(41)は随行を始めてわずか4日目。その新人秘書が見つめる先で、蒲島は淡々と報告を受けながら「責任は私が取る」と繰り返していた。
「任せるべきは任せる。最悪なのは専門家でもない自分が表に出ることだ」。被災直後、蒲島は一貫してこの姿勢を貫いた。整然とした指示系統が功を奏し、県の初動態勢は迅速に整いつつあった。
しかし、前震発生から28時間後の16日午前1時25分。再び県内を襲った震度7の本震により、県災害対策本部の様相は一変した。
被災地域が広がる中で、人命救助と急増する避難者の救援を同時並行で進めなければならない未経験の事態に、災対本部は混乱の度合いを深めていった。(並松昭光)=文中敬称略、肩書は当時
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