【あの時何が 熊本市民病院編⑫】避難所巡回を開始「できることをしよう」
昨年4月16日午後2時ごろ、入院患者らの退院・転院を終えた熊本市民病院(同市東区)。無我夢中だった患者搬送を終え、職員らは「職場はどうなるのだろう」と不安そうにしていた。
院長の高田明(62)は、職員に呼び掛けた。「今後は、われわれにできることをしていこう」。被災した建物は使えず、できることは限られている。高田は続けた。「外に出て、避難所を回ろう」
職員の誰もが不眠不休で“不食”でもあった。憔悴[しょうすい]しきっていたが、月曜(18日)には早速動きだした。自衛隊と熊本赤十字病院から借りたテントを正面玄関に設置し、薬の処方箋発行を開始。チームに分かれて東区の避難所を回り始めた。
チームは医師や看護師、栄養士、薬剤師らで構成。感染症予防チームや口腔[こうくう]ケアチーム、エコノミークラス症候群防止チームなど6チームができた。専門分野を生かして、住民や避難所の運営者に対し、食事提供の注意点やトイレの消毒法などをアドバイスした。
地域での活動は少しずつ拡大していく。22日には湖東中と託麻西小に24時間態勢の診療所を設置。拠点避難所には看護師2人が24時間態勢で常駐することになり、「看護師さんがおるけん、安心ね」という声が寄せられた。病院でも28日、借りた放射線車を使って再来患者のみの外来診療を開始。5月18日から新規の外来患者も受け付けを始めた。
救急診療部長の赤坂威史(47)は熊本市医療救護調整本部の本部長となった。JMAT(日本医師会災害医療チーム)や全国知事会救護班など、全国から来熊するチームの各避難所への振り分けを調整した。赤坂は「地域の役に立つため、やれることを自分で見つける姿勢が必要だと感じた」と振り返る。
NICU(新生児集中治療室)の看護師長、森美乃(55)も避難所巡回に携わった。森は患者搬送を終えた16日午後、携帯電話のおびただしい不在着信に気付いた。家族や自宅の隣近所からだった。阿蘇大橋の崩落で、阿蘇市の自宅に帰れなくなっていた。自宅の地盤も崩れていた。「それでも仕事をしなきゃ」。車中泊をしながら、避難所を回るチームに加わった。
昨年5月、山口県であった新生児の研究会。森は看護師らの発表を聞きながら、ハッとした。「うちの病院って、ないっタイ」。市民病院で診療できない-。その現実を受け止められなかった。後から後から、涙があふれて止まらなかった。
そして12月、病院は新館を改装してNICUを再開した。「赤ちゃんのケアができることがうれしくて、うれしくて」。森は笑顔を見せた。(森本修代)=文中敬称略、肩書は当時
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