国産最古の細川家ワイン 国替え機に製造終了 永青文庫研究センターが忠利の新史料

熊本日日新聞 | 2020年12月10日 10:01

左ページ部分に葡萄酒造りについての記述がある「奉書」(永青文庫所蔵、熊本大付属図書館寄託)

 熊本大永青文庫研究センターは9日、初代熊本藩主の細川忠利が小倉藩主時代に造っていた国産最古の葡萄[ぶどう]酒(ワイン)の製造期間を示す史料が新たに確認され、これまで1627(寛永4)~30年の4年間とされていたが、32年12月の熊本藩への国替え直前までの6年間であったことが分かったと発表した。国替えが製造をやめる直接的なきっかけになったことがうかがえるという。

 同センターによると、細川家では、忠利が南蛮技術を身に付けた家臣の上田太郎右衛門[たろうえもん]に命じ、中津郡大村(現福岡県みやこ町)でヤマブドウの一種の「ガラミ」と黒大豆を使って葡萄酒を製造。文献で確認できる日本最古のワインで、忠利が薬効を高く評価していたため薬酒として飲まれていたという。

 これまで27年から4年間の記録が確認されていたが、忠利の命令を書き留めた32年8月の「奉書」に「葡萄酒を造らせるので、ガラミを採らせて太郎右衛門のところへ持って行かせるようにとの殿様の命令を、太郎右衛門自身が奉行所に伝えてきた」との記述が見つかった。

 葡萄酒はキリスト教入信を勧める飲み物でもあったことから、幕府によるキリシタン禁制が厳しくなるに伴って危険視されたことが製造が短期間で終わった理由の一つとみられるという。

 同センターの後藤典子・特別研究員は「細川家は肥後に移るとすぐキリシタン弾圧の最前線に立ち、島原・天草一揆鎮圧の出兵に結び付いていく。(葡萄酒製造終了は)キリシタン禁制の厳格化に加え、南蛮勢力に直面する肥後への国替えが直接的な契機となったのだろう」と話している。(園田琢磨)

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