自立へ、学園祭やり切った 熊本市の支援施設、清水が丘学園ルポ

熊本日日新聞 | 2020年11月30日 10:02

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学園祭でペンライトを使った出し物を披露する清水が丘学園の男子生徒たち=20日、熊本市中央区の市男女共同参画センターはあもにい(池田祐介)

 真っ暗なステージにひらめくペンライトの光跡。アニメ映画の主題歌「打上花火」のメロディーに乗せて、男子中学生6人が腕を力いっぱいぐるぐると回す。20日、県立清水が丘学園(熊本市北区)の学園祭で男子寮が発表した“ヲタ芸”。前日のリハーサルより息が合い、切れが良くなっていた。

 学園は児童福祉法に基づく児童自立支援施設。犯罪などの不良行為やその恐れ、家庭環境などから生活指導を要する子どもを受け入れる。現在、男子6人のほか、女子中学生3人が入所している。

 男子生徒がペンライトを客席に突き出す決めポーズでフィニッシュすると、満場の拍手が湧いた。客席には児童相談所のケースワーカーや教育委員会、家裁調査官などの顔が並ぶ。一般的な学校文化祭と違い、同世代の中学生がいるわけではない。

 ステージ後、一番前で踊った小柄でひょうきんな1年のトオル(仮名)は少し上気し、「120点だった」と自画自賛した。ほかの5人の顔にも、やり切ったという満足感と安堵[あんど]感が浮かんでいた。

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 「学園祭で子どもたちは大きく成長する。ぜひ見に来てほしい」。3カ月前、ある会合で学園の元関係者から誘いを受けた。私は2003年に学園を舞台に子どもたちの更生について考える連載を書いていた。かつて通った気安さもあり、学園に連絡を取った。(福井一基)

●「変わる」感謝込めて 学園祭作文成長のステップ

 清水が丘学園を前回取材した2003年当時、学園には眉毛をそり、大人に食ってかかるような生徒が多くいた。取材期間中には長崎の中学1年生による男児誘拐殺人事件が起き、社会を震撼[しんかん]させた。刑事責任を問えない14歳未満の犯行。生徒が送られた児童自立支援施設に注目が集まり、深夜徘徊[はいかい]などの非行で入所した子どもと「殺人犯」を同様に処遇する難しさが盛んに論じられた。

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 男子寮の出し物の練習を見ようと学園を訪ねると、生徒たちは人懐こく私を取り囲み質問攻めにした。17年前とは印象が随分違い、みんな幼く、おとなしそうに見えた。学園は矯正施設ではなく高い塀があるわけでもない。以前は学園で「ムガイ」と呼ばれる無断外出が頻発したが、今は少ないという。

 しかし、職員らは一様に「指導が(生徒に)入らない」という表現で、対応の難しさを口にする。コミュニケーション能力に課題がある生徒もおり、対人関係を築きにくい。道徳の授業で「この人はどんな気持ちか」と問うても、他人の気持ちに思いを至らせることが難しいという。

 生徒の半数は何らかの理由で親が育てられず、児童養護施設などで暮らしてきた。男子寮長の今別府隆宏さん(43)は「小さい頃の愛着形成が不十分で、底が抜けている感じの子もいる。人との関わりから学び成長するためには、愛着という土台が必要」と指摘し、「子どもたちが飛び立つときに必要な土台を、ここで作ってあげたい」と話した。

 中学3年のヒロト(仮名)も養護施設などで暮らした。母親の所在は知っているが、5年間会っていないという。母親について尋ねると一瞬顔をこわばらせたが「お母さんのことは恨んでいない。会いたい気持ちはある」と静かに語った。

 制約された生活を送る中、生徒たちが1年で最も楽しみにしているイベントが学園祭だ。教職員も同様で、指導課長の福田公博さん(50)は「昔から学園祭が終わると不思議とムガイがなくなっていた。最後に読む作文は“誓い”みたいなもの。みんなの前で誓いを立てた以上、変わろうと努力するのではないか」と話す。

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 学園祭は男女寮の出し物の後、作文発表で締めくくられる。「先生のおかげで勉強が好きになった」。生徒たちは驚くほど率直に、教職員や児童相談所の担当者らへの感謝の言葉を口にした。

 そして、多くの生徒が触れたのが親への思いだ。2年のミキ(仮名)は、父親は写真でしか見たことがないといい「ママだけそばにいてくれたら一番の幸せ。ママの子どもでよかった」と訴えた。母親と過ごしたことがないヒロトも「お母さん、産んでくれてありがとう」と語った。みんな大勢の観客を前に照れもせず、堂々と作文を読み上げた。

 学園職員は「スモールステップ」という言葉を好んで使う。小さな成功体験を積み重ね、少しずつ成長していこうという考えだ。副園長の小林寿紀さん(53)は「徒労感を覚えることもあるが、子どもたちは指導によってちょっとした変化を見せてくれる。そこに小さな喜びがある」と打ち明けた。

 作文発表の間、会場ではすすり泣く声が漏れ、リハーサルで聞いているはずの教職員も一様に涙した。生徒たちの多くの「ありがとう」に、客席から思いがけず「ありがとう」と返す声があった。(福井一基)