言語化された「真実」に抗う ハンセン病療養所の島にアート 美術家・鴻池朋子さん
熊本日日新聞 | 2020年12月7日 10:33
今秋、熊本県の天草で開かれた国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園の絵画クラブ「金陽会」里帰り展を訪れた美術家の鴻池朋子さん。2019年の「瀬戸内国際芸術祭」では、島全体が療養所となっている高松市の大島で作品を発表している。社会問題の、さらに先にある景色を追い求める鴻池さんは「私たちには本来、言葉だけでなく、全身で何かを受け止める力があるはず」と話す。
「リングワンデルング」とは登山用語で、悪天候で道を見失い、ぐるぐる円を描くように歩き続けることをいう。
鴻池さんは大島北側にある約1・5キロメートルの細道を、「リングワンデルング」という作品にした。荒れ果てていた散歩道は1933年、入所者たちが力を合わせて切り開いた。
なだらかな山道だ。海が見える。潮騒が聞こえる。二つの岬は「東の遠吠[とおぼえ]」「西の遠吠」。木々に結ばれた入所者の言葉を読みながら進むと、木々の間につるされた絵画の、異形の獣たちの視線に射られた。人間はこれまで、何をしてきたのだろう。これからどこへ向かい、何をしようとしているのだろう…。鑑賞者は、自問しながら歩み続ける。
「作品がある場所へ行き、帰ってくる。その時、一人一人の中で起こっていることが芸術にとって誠実で、重要なことだと思う。生きている体と作品で、その道筋をつくることがやりたかったんです」
荒野に道を探り、藪漕[やぶこ]ぎして新たな「場」をつくった鴻池さん自身も「この道を掘った入所者たちの感情やリズムを感じていた」と振り返る。
◆さびない看板
制作には苦悩した。「大島はハンセン病という社会問題が言語化された場所。ここでは何をやってもハンセン病というコンセプトに入れ込まれてしまうと感じました」
息苦しさから逃れ、一人で浜辺や山を歩き回るうちに、島のあちこちに立つステンレスの案内板に気付いた。「貯水池の前には『ここは昔、入所者の水道であった』みたいなことが書かれていて…。50年、100年たってもさびない看板がキャプションになって、島全体が資料館みたいになっていくのかと思うと怖くなった」
その場所に立ち、自分の身体に起こる何かを大切に制作してきた鴻池さんには、言葉によって残される事柄のみを「真実」として疑わない姿勢は「暴力的」に映った。
「言葉はさまざまなものをたった一つに置き換えられる。しかし整理され、単純化されていくうちに、その言葉以外のものは排除され、なかったことになってしまう」
絶対不変な“ステンレス的”なものへの抵抗。それは、言語化の過程で切り捨ててきた「豊かさ」を取り戻す闘いだったのかもしれない。「リングワンデルング」は全身で物事をキャッチする能力を呼び覚ますための、小さな“旅”でもあった。
◆人をつなぐ
大島ではほかにも「物語るテーブルランナー」を発表した。入所者や看護師から話を聞き取り、下絵を描いて全国の手芸愛好家にマットを作ってもらうという試みだ。
ささやかで個人的な日常の物語が、話す人、聞く人、縫う人、そして見る人をつないでいく。「人によってそれぞれに受け止め方が違う。それがいいなと思っています。金陽会の絵と、似ているのかもしれません」
差別も含め、間違ったこともしたりしながら生きている私たちの生を否定せずに、向き合いたいという。「正解がなく、AIのように統計学的な予測もできないからこそ私たちは、今をいきいきと生きられるのではないでしょうか」(小野由起子)
◇こうのいけ・ゆきこ 1963年東京都生まれ。「風と共に去りぬ」「誓願」など訳書多数。著書に「翻訳ってなんだろう?」など。